御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

編集詳細

2025年01月19日(日) 01時01分 byくし

履歴一覧へ戻る
名前
編集前
竜蔵寺
編集後
龍蔵寺(青柳大師)
ふりがな
編集後
りゅうぞうじ(あおやぎだいし)
通称
ご由緒
編集後
龍蔵寺はその起源を奈良時代まで遡り、以降、厩橋城(前橋城)の祈願寺や、僧侶の養成機関である談義所といった、様々な役割を地域の中で担ってきました。
また、当山でお祀りする元三大師さまへの信仰から「青柳厄除大師」や「青柳大師」などの通称で親しまれ、現在も、縁日の一月三日には多くの方で境内が賑わいます。
龍蔵寺は、延暦二年(七八三年)に、日光山の開祖と知られる勝道上人によって、現在の青柳町に「満願寺」という名で建立されたのが始まりとされます。しかし、満願寺は兵火に遭い焼失してしまいます。
貞治・應安の頃(一三六二~一三七五年)、笠間道玄入道が厩橋城築城の際、城の鬼門除けとして満願寺を城の北東に位置する現在地に移し、寺名を「龍蔵寺」と改めました。「満願寺」の寺名は日光へ移したとされます。以降、龍蔵寺は厩橋城主代々の祈願所とされました。龍蔵寺村の年番名主によって書き継がれてきた『龍蔵寺村日誌』には、龍蔵寺が前橋藩からの依頼で雨乞いの祈祷を行ったり、城主が病気になった際に護摩祈祷を行ったりといった記録がみられます。
寬保二年(一七四三年)、龍蔵寺は再び火災に遭い、本堂や庫裡、什宝、旧記等一切が焼失してしまいます。そして、延享三年(一七四六年)、前橋城主であった酒井忠恭により堂宇が再建されます。酒井氏は代々、篤く龍蔵寺の元三大師を信仰しており、五十石の寄進を行ったという記録も残っています。その後、増築や改修を経て、現在に至ります。
【寺名の起源】
移築先であった現在の境内地は、その昔、利根川が流れており、龍が潜む程の深い場所であったことから、「龍ヶ淵」と呼ばれていました。川の流れが変わり、原野であったところを開拓して伽藍を建て、その地名から「龍蔵寺」と名づけられました。
龍蔵寺の正式名称は、「青柳山 談義堂院 龍蔵寺」と号します。中世になると、「談義所」や「談林」とよばれる、僧侶を養成する研究教育機関が、関東の各地に設置されるようになります。その中でも龍蔵寺は、龍蔵寺中興の祖である豪尊が康暦二年(一三八〇年)に僧侶を集めるなど、一大談林を築き、関東八箇談林の一つとして位置づけられていました。
(寺院HPより 一部編集)
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
編集前
阿弥陀如来
編集後
《本尊》阿弥陀如来
《大師堂》元三大師良源
《諸尊》大黒天・ぼけ封じ観音・聖観世音菩薩・水子地蔵・伝教大師・その他
URL
編集後
https://aoyagidaishi.com/
見所
編集後
奈良時代創建、勝道上人開山の前橋の古刹。
正月三日の元三大師開帳日は大変賑わう。
アクセス
参拝時間
twitter
facebook
instagram
LINE
駐車場
編集後
あり 寺院前
トイレ
参拝所要時間
参拝料
山号
編集後
青柳山
院号
編集後
談義堂院
創立
編集後
延暦二年(783年)
創始者/開山・開基
編集後
勝道上人
本殿/本堂の建築様式
巡礼
行事
編集後
1月3日 元三会(元三大師御開帳)
2月3日 節分会
文化財
ご神体
YouTube