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2025年01月17日(金) 23時47分 byくし

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ご由緒
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平安時代初頭の弘仁二年(811年)伝教大師 最澄の弟子、宥海上人がこの地に庵を結び、自ら彫った虚空蔵菩薩の像を安置したのが創始とされている。
古くは神仏習合により星宮とも称していたが、明治元年(1868年)三月の太政官布告による神仏判然令により天之御中主神を御祭神とし、虚空蔵菩薩は分離して社殿隣の虚空蔵堂に祀られる事になった。
その際、桂萱大塚古墳(かいがやおおつかこふん)の頂に祀られていた社殿を、古墳の前方部を切り崩して再建した。

【早虎稲荷神社】
江戸時代中期の寛延二年(1749年)、播磨国姫路藩から前橋藩に転封してきた松平朝矩(とものり)が、前橋城の丑寅の方角にある片貝神社に虚空蔵菩薩が祀られていた事から鬼門除けとして当社を造営したと伝えられている。

【片目の鰻】
片貝の虚空蔵尊は、遠く桃山時代に上野国南勢多郡の片貝郷に鎮座し、全国からその霊験に浴する信仰者が数多かったと云う。
そんな虚空蔵尊の境内入口の鳥居近くには周囲10ⅿ程の八角形の「虚空蔵尊鰻池」と呼ばれる池がある。
その昔、この地域で洪水が発生し、人々の信仰の対象であった仏像の虚空蔵菩薩が流されそうになった。するとどこからか鰻が現れ、流されそうな虚空蔵菩薩にぐるぐると体を巻きつかせ、洪水から守ったという。 
以後、鰻は虚空蔵菩薩の化身として人々の信仰を集め続け信仰者から特別の保護を受けてきた。片貝の住民は鰻は虚空蔵菩薩の化身なるが故に絶対に食する者はいなかった。片貝の水を三日間飲用した者も向う三年間は鰻を食用しなかったとの云い伝えもあったという。
特に眼病治癒に霊験あらたかな事から、難病や眼病の治癒祈願のために鰻を奉献する事を誓い、大願成就したら鰻をこの池に放流する習わしとなっている。 そのためかこの池の鰻は祈願奉納した患者の身代りとなって眼を患い、片目の鰻となっていたと伝えられており、昔からこの池の鰻を捕ると目が見えなくなると云われていた。 ある時「そんなことがあるはずがない」と言って池の鰻を捕った者がいたが、たちまち目が見えなくなってしまったと云われている。
見所
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境内に虚空蔵菩薩堂がある、神仏習合が色濃く残る神社。
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境内に虚空蔵菩薩堂がある、神仏習合が色濃く残る神社。
病気平癒、特に眼病治療に霊験があり、大願成就したら池に虚空蔵菩薩の化身のウナギを放す習わしとなっている。
創立
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弘仁二年(811年)
創始者/開山・開基
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宥海上人
文化財
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片貝神社太々神楽 (前橋市指定無形重要文化財)