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八幡神社の編集履歴
2024年08月11日 17時08分
ご由緒
創祀未詳なりと雖も、旧記に依れば、
建久の始巌邑城の創始者加藤次景廉の子遠山左馬之丞此の地に城を築き、
城の東方字大瀧に八幡廟を奉祀し、守護神となしたりと云ふ。
本殿建立の棟札に、永徳二年卯月十五日とあり、今より五百六十余年前なり。
又明暦三年現在地に奉遷し本殿を再建す。
「巌邑府誌抜粋」には、創祀奉祀者遠山左馬允安守建久六年
三月三日桐加藤次景廉巌邑に城郭を築き、敵襲を避ける為建仁二年次子
遠山左馬允安守をして峯城を築造せしめ、守護神として字峰山の中腹に八幡廟を
奉祀し代々崇敬してきた。樂峰八幡廟山林中腹に有り。古城墟伝に云ふ。
遠山左馬允安守者守護神焉並巌邑子城、甲陽史を按ずるに、
遠山左馬允は武田氏麾下未だ審らかならず。其の異同殿畠は盡く右馬允田圃也。
日挌呼圃は畠也之又巌邑府誌の一部にあり。創祀勧請の位置、当時峰山あり。
目下の字名大瀧に石社の旧跡現在地。
天正二年二月武田勢乱入に依り掠実城は兵火に罹り烏有に帰したりと
古書即ち巌邑府誌にあるより按ずれば、
其の後戦国時代故現存せる最も古き建造の棟札の年代ならん。
棟札は永徳二年卯月十五日。
駐車場
あり 少し
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