こうとくいん|真言宗智山派|法樹山
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広徳院の編集履歴
2023年05月14日 21時56分
ご由緒
久安2年(1150)に、藤原清衡の娘徳姫が磐城氏のもとへ嫁ぎ、森閑とした山谷の霊気に感動し、その発願によって鏡意上人が開基となり、この地に一寺を建立しました。
徳姫の一字を取って広徳院と号し、その後、門葉が集合して寺門隆盛を極めたと伝えられています。
しかし、元亀元年(1570)、相馬・岩城氏の争いによる兵火が一朝にして当山伽藍を火燼に化し、伝承の什物や古記録一切を失いました。
徳川時代には平藩主の外護を受けて寺領30石を有しましたが、地方政治の変遷により推移が難しく、安政3年(1856)には野火によって平藩主内藤義孝公寄進の本尊秘仏聖観世音菩薩を残し、全てを全焼しました。
続く明治維新、そして太平洋戦争には当山も衰退の一途を辿りましたが、戦後には本堂・聖天堂を再建し、法灯恵命を点じて寺門の興隆を見ました。
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