こうえんじ|真言宗智山派|浄瀧山
光円寺(光圓寺)の編集履歴
ご由緒
光円寺の開山については、再三による火災のために不明ですが、『磐城郷土史』(昭和3年発行) によると、「天永時代(1110~13)の頃、渡辺正安なるもの護身仏を安置する」とあり、永禄年間(1558〜70)に法印賢賀が中興しています。
その後、天明元年(1781)と明治6年(1873)に火災に遭遇しています。
昭和9年、昌栄前住職は復興を発願して以来、昭和26年に地蔵堂、昭和37年に本堂を、昭和46年には庫裡を造営し、次々と再建しました。
本尊は大日如来坐像で、作者は不明ですが、年代は享保7年(1722)のものです。
本堂の左手には地蔵堂があり、本尊に「泉崎地蔵様」とよばれる祐命地蔵尊が祀られ、昔からその守護にすがる信者が多く、特に受験生には「合格地蔵」として親しまれています。
庭には、安永9年(1770)に信濃国の石工によって建てられた宝篋印塔があり、一見する価値があります。
編集前:光円寺の開山については、再三による火災のために不明ですが、『磐城郷土史』(昭和3年発行) によると、「天永時代(1110~13)の頃、渡辺正安なるもの護身仏を安置する」とあり、永禄年間(1558〜70)に法印賢賀が中興しています。
その後、天明元年(1781)と明治6年(1873)に火災に遭遇しています。
昭和9年、昌栄前住職は復興を発願して以来、昭和26年に地蔵堂、昭和37年に本堂を、昭和46年には庫裡を造営し、次々と再建しました。
本尊は大日如来坐像で、作者は不明であるが、年代は享保7年(1722)のものです。
本堂の左手には地蔵堂があり、本尊に「泉崎地蔵様」とよばれる祐命地蔵尊が祀られ、昔からその守護にすがる信者が多く、特に受験生には「合格地蔵」として親しまれています。
庭には、安永9年(1770)に信濃国の石工によって建てられた宝篋印塔があり、一見する価値があります。