あんじょういん|真言宗智山派|大乗峯山
安祥院(下大越観音)の編集履歴
名前
安祥院
編集前:安祥院 光厳寺
ふりがな
あんしょういん
編集前:あんしょういん こうごんじ
ご由緒
安祥院は、弘仁8年(817)に豪海法印が開山し、康平年間(1058〜1065)に源義家が東征の折、当寺に詣でて戦勝を祈願したと伝えられています。
本尊は金剛界大日如来で、作者は不詳です。
境内には観音堂があり、本尊の聖観世音菩薩を祀っており、磐城三十三観音第19番札所に指定されています。
聖観音の作者は、奈良時代の高僧・行基菩薩と伝えられています。
延享元年(1744)に西南の小陵の地より移転し、安永7年(1778)には現在の観音堂を新築し、入仏供養の際には平藩主内藤備後守政樹公の参拝を得て、荘厳に修法されたといいます。
その時に、「堂高く池水きよし蝉の経」が詠われていて、今でも句碑が池畔に現存しています。
薬師如来が祀られている堂宇は、「ますがたの池に輝く瑠璃の色、詣ずる人のしるべならまし」と詠まれています。
また、本堂の奥には十二支の守り本尊である八躰仏が安置され、篤信されています。
編集前:安祥院は、弘仁八年(八一七)に豪海法印が開山し、康平年間(一〇五八~六五)に源義家が東征の折、当寺に詣でて戦勝を祈願したと伝えられている。
本尊は金剛界大日如来で、作者は不詳である。
境内には観音堂があり、本尊の聖観世音菩薩を祀り、磐 城三十三観音第十九番札所に指定されている。
聖観音の作者は、奈良時代の高僧行基菩薩と伝えられて いる。
延享元年(一七四四)に西南の小陵の地より移転し、安永七年(一七七八)には現在の観音堂を新築、 入仏供養の際には平藩主内藤備後守政樹公の参拝をえて、荘厳に修法されたという。
その時の一句に、「堂高く池水きよし蝉の経」を詠って、今でも句碑が池畔に現存する。
薬師如来が祀られている堂宇は、
「ますがたの池に輝く瑠璃のいろ詣ずる人のしるべならまし」
と詠まれている。
又、本堂の奥には十二支の守 り本尊である八躰仏が安置され、篤信されている。