こうやざかかんのんどう
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高野坂観音堂の編集履歴
2023年05月18日 16時43分
ご由緒
【 歴史と建造 】
地名にちなんで高野坂観音と呼ばれるようになった時期は定かではありませんが、棟札によれば元禄12年(1699年)にはお堂のかや屋根がふき替えられ、その11年後には薬王寺の法印日元和尚と地元照林寺の住職祐一元和尚が地元の信者と共に御本尊聖観音の大供養を行っています。
当時、北神谷には観音を信仰する男女の念仏講があり、元禄12年(1699年)の7月には16回も集まったとされます。
多分その年に行われた観音堂の屋根替え工事に参加したのかもしれません。
【 建替えと信仰の盛んさ 】
寛政9年(1797年)に観音堂を建て直し、それから31年後の文政11年(1828年)に再び建て替えられたことから、当時の観音信仰の盛んさがうかがえます。
明治32年(1899年)と大正6年(1917年)には屋根替えが行われ、大正11年(1922年)には屋根替えに加えて御本尊の修理も行われました。
御本尊は像高約60cmの聖観音で、左手に握っている蓮華こそ失われていますが、赤味を帯びた材料を使用した白木の一木造りで、黄金色の光背を背負っています。
御尊顔は優しく素朴な造りの中に気品が含まれています。
【 巡礼の碑 】
境内の右側には、安永10年(1781年)に神谷村の祖右衛門という人が西国三十三札所・坂東三十三札所・秩父三十四札所の百札所巡拝を終えた記念の碑が建っています。
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