ぬまのうちかんのんどう
沼之内観音堂の編集履歴
ご由緒
【 沼之内観音堂の特徴 】
沼之内観音堂は、6世紀末に驚くべき遺物が出土した場所に位置し、中田横穴に対面した約300m前の山腹に建っています。
お堂は二間四方の規模です。
御詠歌に「高き岩屋」とあることから推察すると、かつては「つるし観音」と呼ばれるような高い場所の石宮にあったのかもしれません。
周辺の山は岩石層が広がっており、ほこらを造るのに適しています。
【 現在の観音堂の再建と特徴 】
現在の観音堂は、棟札によると大正11年に地元の鈴木留吉氏ら9人が主導となり、浄財を募って再建されました。
天井画を描いた格子組みや天井板は、古いお堂の部材を再利用して歴史を継承しています。
【 正しい呼び方と御本尊の特徴 】
掲額によれば、昭和8年代には「作の観音」とも呼ばれていたようで、御本尊は千手観音とされています。
しかし、この観音の姿を見ると、頭上に十一面の化仏のほかに頂上仏一体を受け、右手には念珠を持ち、もう一方の手は与願印を結んでいます。
左手には未開蓮を持ち、もう一方の手には水瓶を持っています。
これらの姿から、諸病を遠ざけ、財宝を得させる十一面観音と呼ぶのが正しいです。
頭上に化仏を受け、四臂(四本の腕)を持っているため、十一面千手観音と誤解されることもありますが、右手が与願印であることから十一面観音であることが証明されます。
【 御本尊の材質と修復 】
御本尊は昭和30年(1955年)と昭和46年(1971年)に修復されました。
そのため、仏身の採色材が厚くなり、像の材質が明確ではありませんが、光背などと照らし合わせると木造であると考えられます。
編集前:【 沼之内観音堂の特徴 】
沼之内観音堂は、6世紀末に驚くべき遺物が出土した場所に位置し、中田横穴に面した約300m手前の山腹に建っています。
お堂は二間四方の規模です。
御詠歌に「高き岩屋」とあることから推察すると、かつては「つるし観音」と呼ばれるような高い場所の石宮にあったのかもしれません。
周辺の山は岩石層が広がっており、ほこらを造るのに適しています。
【 現在の観音堂の再建と特徴 】
現在の観音堂は、棟札によると大正11年に地元の鈴木留吉氏ら9人が主導となり、浄財を募って再建されました。
天井画を描いた格子組みや天井板は、古いお堂の部材を再利用して歴史を継承しています。
【 正しい呼び方と御本尊の特徴 】
掲額によれば、昭和8年代には「作の観音」とも呼ばれていたようで、御本尊は千手観音とされています。
しかし、この観音の姿を見ると、頭上に十一面の化仏のほかに頂上仏一体を受け、右手には念珠を持ち、もう一方の手は与願印を結んでいます。
左手には未開蓮を持ち、もう一方の手には水瓶を持っています。
これらの姿から、諸病を遠ざけ、財宝を得させる十一面観音と呼ぶのが正しいです。
頭上に化仏を受け、四臂(四本の腕)を持っているため、十一面千手観音と誤解されることもありますが、右手が与願印であることから十一面観音であることが証明されます。
【 御本尊の材質と修復 】
御本尊は昭和30年(1955年)と昭和46年(1971年)に修復されました。
そのため、仏身の採色材が厚くなり、像の材質が明確ではありませんが、光背などと照らし合わせると木造であると考えられます。