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2023年05月22日(月) 14時55分 byダイコン

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【 江戸初期の大干ばつ 】
江戸時代初期の慶安年間(1650)の頃、磐城地方は大干ばつに見舞われ、数十日間も一滴の雨が降らず、田畑はひび割れ、稲穂も実らない状態となりました。
この状況に対し、当時の平城主である内藤忠興公は、家臣の澤村勘兵衛勝為に管内の田畑の状況を調査するよう命じました。
【 農民を救うための水路開削 】
澤村勘兵衛は大野郷から回村の折、泉崎村の光明寺を訪れ、住職の歓順法師と協議し、農民を救うための策を話し合いました。
歓順法師の示唆を受け、勘兵衛は江筋開削を決断し、内藤公に進言しました。
内藤公は工事奉行に命じ、承応元年(1651)に小川村関場の夏井川からの引水開削事業が開始されました。
【 小川江筋の完成 】
多くの困難を乗り越えながら、工事は3年3ヶ月の月日を要し、大小の水門17ヶ所と延長30キロメートルに及ぶ水路が完成し、水田1200ヘクタールに灌漑が可能となりました。
小川江筋の完成により、小川から四倉に至る村々は水不足から解放され、多くの米が収穫されるようになり、農民たちの生活も豊かになりました。
【 勘兵衛の功と澤村神社の建立 】
しかし、勘兵衛の功績を妬む者の告訴により、明暦元年(1655)7月14日に彼は割腹し、43歳で命を終えました。
しかしこの功績により、小川江筋下に住む2千余りの住民は明治9年(1876)に草野下神谷に澤村神社を建立し、彼の霊を長く崇めました。
【 街の暮らしに欠かせない小川江筋 】
現在、小川江筋はいわき市の飲料水としても、市の上水道に毎日3万6千トンの清流を供給しています。
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明治9年(1876年)
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