じょうこういん|真言宗智山派|開虎山
浄光院の編集履歴
ご由緒
浄光院は、小名浜の桜の名所、富ヶ浦公園の近くの高台に位置し、海と街を一望できます。
当山の歴史は古く、嘉吉3年(1443年)に鏡甚和尚が当地に来て壇を築き、天下泰平・済世利民を祈って中興開山を成し、十一面観世音菩薩を尊崇し、御堂を創建したと伝えられます。
山号の開虎山は、領主下総守親隆公の法号である虎山明心大庵主に由来していると伝えられています。
江戸時代には、将軍より中神谷村に朱印地を与えられ、朱印寺院であったことを物語る、将軍歴代の法名を連記した位牌が現存しています。
毎月十七日の縁日には、観音講が行われ、多数の人が参詣に訪れます。
山号に因んでか、寅年開運の観音としても信仰されています。
また、当寺は内藤露により、小名浜八景の一つに選ばれ、「虎山晩鐘」と詩に詠まれた梵鐘があります。
この鐘は300年鳴り続け、御仏の心と歴史を伝えています。
編集前:浄光寺は、小名浜は桜の名所富ヶ浦公園の、そばの高台に位置し、海と街とが一望できる。
当山の歴史は古く、今から五百五十有余年の昔
「嘉吉三年・一四四三年)鏡甚和尚当地に来たって壇を築き天下泰平・済世利民を祈り以て中興開山を為し、 居りしに岩城の領主下総守親隆公深く十一面観世音菩薩を尊崇し以て御堂を創す」
と伝えられ、山号の開虎山は親隆公の法号虎山明心大庵主に由来しているものと伝えられている。
江戸時代には、将軍より中神谷村に朱印地を与えられ、朱印寺院であったことを語る、将軍歴代の法名を連記した位牌を現存する。
毎月十七日の縁日には、観音講はじめ多数の人が参詣に訪れる。
山号に因んでか、寅年開運の観音としても信仰されている。
また当寺は、内藤露により、小名浜八景の一つに撰され、「虎山晩鐘」と詩に詠まれた梵鐘があり、 「時の鐘を鳴らしつづけて「三百年」、御仏の心と歴史を伝える。