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2023年05月17日(水) 17時10分 byダイコン
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【 下川観音と天狗堂 】 下川観音をまつる天狗堂内には、寛保3年(1743年)の7月18日に泉藩の領主である板倉佐渡守が、正観音を祀るお堂を造ったことを記載した棟札が残っています。 そのため、当時、観音堂は天狗堂とは別に建てられており、その場所は天狗堂の南約30mほどの位置にあったと言われています。 【 観音堂の廃堂と御本尊の行方 】 観音堂がなぜ廃堂となり、そこに祀られていた正観音が天狗堂に遷されたのかについては、残念ながら解明する資料は存在しません。 【 天狗堂の改修と御本尊の戻り 】 昭和11年(1936年)には天狗堂が改修され、当時若かったいわき市泉出身の南画家・大平華泉画伯が天井画などを描きました。 しかし、その後しばらくの間はお堂が荒れてしまい、御本尊の聖観音も何者かに持ち去られてしまいました。 昭和51年(1976年)6月にお堂が改修され、一木白木造りの聖観音が勧請されました。 以来、毎月一日を縁日として、地域の年配の方々が供養を続けてきました。 ところが昭和54年(1979年)の春の事です。 天狗堂の縁先に赤く錆びた金仏が置かれているのが見つかり、何者かが持ち去った御本尊が、そっと戻されていたという事です。
編集後
【 下川観音と天狗堂 】 下川観音をまつる天狗堂内には、寛保3年(1743年)の7月18日に泉藩の領主である板倉佐渡守が、正観音を祀るお堂を造ったことを記載した棟札が残っています。 そのため、当時、観音堂は天狗堂とは別に建てられており、その場所は天狗堂の南約30mほどの位置にあったと言われています。 【 観音堂の廃堂と御本尊の行方 】 観音堂がなぜ廃堂となり、そこに祀られていた正観音が天狗堂に遷されたのかについては、残念ながら解明する資料は存在しません。 【 天狗堂の改修と御本尊の戻り 】 昭和11年(1936年)には天狗堂が改修され、当時若かったいわき市泉出身の南画家・大平華泉画伯が天井画などを描きました。 しかし、その後しばらくの間はお堂が荒れてしまい、御本尊の聖観音も何者かに持ち去られてしまいました。 昭和51年(1976年)6月にお堂が改修され、一木白木造りの聖観音が勧請されました。 以来、毎月一日を縁日として、地域の年配の方々が供養を続けてきました。 ところが昭和54年(1979年)の春になると、天狗堂の縁先に赤く錆びた金仏が置かれているのが見つかりました。 何者かが持ち去った御本尊が、そっと戻されていたという事です。