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2023年05月29日(月) 08時53分 by辰昇
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【 創建とお取立て 】 はじめ平安時代の大同年間(806〜810)、現在地よりも海に近い滝尻亀石に、諏訪・八幡の両神が勧請。 それから150年以上が経ち、当地に着任した岩城判官の平政氏公(平将門の孫)にお取立てされて中興しました。 【 津波による移転 】 その後、天文年間(1532〜1555)には津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました。 【 泉藩の祈願社 】 寛永11年(1634)になると初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。 また延宝3年(1675)には内藤政親公によって、山の上にあった社殿が再び里へと降ろされ、現在地である「岩城判官・平政氏公の旧館跡地」に奉遷されました。 (当時は諏訪大明神・正八幡宮に分祀) その後、元禄15年(1702)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進しました。 延享3年(1746)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。 【 現本殿の造営と神様の合祀 】 現在の本殿は、寛政8年(1796)に江戸幕府の老中格である泉藩主・本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。 明治6年(1873)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。 また、大正4年(1915)には氏子によって唐獅子一対が奉納されました。 【 改築と改修 】 その後、昭和49年(1974)11月には現在地の300年記念として幣殿拝殿が改築され、令和元年(2019)11月には本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。 また、令和3(2021)年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。
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【 創建とお取立て 】 はじめ平安時代の大同年間(806〜810)、現在地よりも海に近い滝尻亀石に、諏訪・八幡の両神が勧請。 それから150年以上が経ち、当地に着任した岩城判官の平政氏公(平将門の孫)にお取立てされて中興しました。 【 津波による移転 】 その後、天文年間(1532〜1555)に津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました(地名:諏訪山)。 【 泉藩の祈願社 】 寛永11年(1634)、初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。 また延宝3年(1675)には内藤政親公によって、山の上にあった社殿が再び里へと降ろされ、現在地である「岩城判官・平政氏公の旧館跡/滝尻城跡」に奉遷されました(当時は諏訪大明神・正八幡宮に分祀)。 その後、元禄15年(1702)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進。 延享3年(1746)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。 【 現本殿の造営と合祀 】 現在の本殿は、寛政8年(1796)に江戸幕府の老中格である泉藩主・本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。 明治6年(1873)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。 また大正4年(1915)、氏子によって唐獅子一対が奉納されました。 【 改築と改修 】 その後、昭和49年(1974)11月に現在地300年記念として幣殿拝殿が改築、令和元年(2019)11月に本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。 また、令和3(2021)年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。
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🔹車…いわき湯本ICから約15分 🔹タクシー…JR泉駅から約4分 🔹徒歩…JR泉駅から約17分 🔹バス…JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分 🔹バス…JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分
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県道20号(旧6号国道)に面していて、訪れやすいです。 境内周辺には泉浄水場やダイソー、ファミレス等があります。 🔹車…いわき湯本ICから約15分 🔹タクシー…JR泉駅から約4分 🔹徒歩…JR泉駅から約17分 🔹バス…JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分 🔹バス…JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分
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鳥居の手前の左右スペースに約10台
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鳥居の手前の左右スペースに約10台 (かつてのお堀が埋め立てられた場所)
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🔹1月1日…歳旦祭 🔹1月8日…清祓い(お焚き上げ) 🔹2月11日…建国際 🔹5月5日…春季例大祭(神輿渡御) 🔹9月敬老の日前日…夏祭(三匹獅子舞・ささら棒術) 🔹10月第2日曜日…秋季例大祭(神輿渡御・流鏑馬) 🔹11月30日…新嘗祭
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🔸1月1日…歳旦祭 🔸1月8日…清祓い(お焚き上げ) 🔸2月11日…建国際 🔸5月5日…春季例大祭(神輿渡御) 🔸9月敬老の日前日…夏祭(三匹獅子舞・ささら棒術) 🔸10月第2日曜日…秋季例大祭(神輿渡御・流鏑馬) 🔸11月30日…新嘗祭
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🔹本殿…泉藩主で幕府老中格・本多忠籌公による造営 🔹拝殿…日本画家・大平華泉氏による龍の天井画 🔹土塁…鳥居両脇に滝尻城の土塁が残存 🔹唐獅子一対…狛犬の口が左右とも開いている阿阿タイプで、石碑には唐獅子一対と記されている 🔹安寿と厨子王ゆかりの碑…岩城判官の平政氏公の旧館跡地という由緒による
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🔹本殿…泉藩主で幕府老中格・本多忠籌公による造営 🔹拝殿…日本画家・大平華泉氏による龍の天井画 🔹土塁…鳥居両脇に滝尻城の土塁が残存 🔹唐獅子一対…狛犬の口が左右とも開いており(阿阿型)、石碑には唐獅子一対と記されている 🔹安寿と厨子王ゆかりの碑…岩城判官の平政氏公の旧館跡地という由緒による
