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2023年05月18日(木) 11時10分 by辰昇
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【 創建とお取立て 】 はじめ平安時代の大同年間(806〜810年)に、滝尻亀石という現在地よりも海の近くに勧請。 それから約150年を経て、岩城判官政氏公によってお取立てされ興隆しました。 【 津波による移転 】 その後、天文年間(1532〜1555年)に津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました。 【 泉藩の祈願社 】 寛永11年(1634年)になると初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。 また延宝3年(1675年)には政親公によって、社殿が山の上から現在地である「岩城判官政氏公の旧館跡」へと移されました。 当時は、諏訪大明神と正八幡宮に分かれて祀られていました。 その後、元禄15年(1702年)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進しました。 延享3年(1746年)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、氏神として春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。 【 現本殿の造営と神様の合祀 】 現在の本殿は、泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌(ただかず)公によって寛政8年(1796年)に建てられたものです。 明治6年(1873年)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。 また、大正4年(1915年)には氏子によって唐獅子一対が拝殿前に奉納されました。 【 改築と改修 】 その後、昭和49年(1974年)11月には現在地の300年記念として幣殿拝殿が改築され、令和元年11月には本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。 また、令和3年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。
編集後
【 創建とお取立て 】 はじめ平安時代の大同年間(806〜810年)に、現在地よりも海に近い滝尻亀石に創建。 それから約150年を経て、岩城判官の政氏公によってお取立てされて興隆しました。 【 津波による移転 】 その後、天文年間(1532〜1555年)には津波で社殿が被災し、復興のため滝尻の山の上に移されました。 【 泉藩の祈願社 】 寛永11年(1634年)になると初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となりました。 また延宝3年(1675年)には次代の政親公によって、山の上にあった社殿を再び里へと降ろされました。 現在地である「岩城判官政氏公の旧館跡」に遷座されたのです。 当時は、諏訪大明神と正八幡宮に分かれて祀られていました。 その後、元禄15年(1702年)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進しました。 延享3年(1746年)に泉藩主が本多忠如公に交代しても、氏神として春秋の祭りに米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。 【 現本殿の造営と神様の合祀 】 現在の本殿は、泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌(ただかず)公によって寛政8年(1796年)に建てられたものです。 明治6年(1873年)になると諏訪・八幡両神を合祀し、郷社に列せられました。 また、大正4年(1915年)には氏子によって唐獅子一対が拝殿前に奉納されました。 【 改築と改修 】 その後、昭和49年(1974年)11月には現在地の300年記念として幣殿拝殿が改築され、令和元年11月には本殿が改修、さらに大鳥居・神輿庫・手水舎も改築されました。 また、令和3年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。
