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すわはちまんじんじゃ

諏訪八幡神社の編集履歴
2023年05月16日(火)
福島県 泉(JR)駅

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辰昇
2023年05月16日 14時48分

ご由緒

はじめ平安時代の大同年間(806〜810年)に、泉町滝尻字亀石に勧請され、その後岩城判官政氏公によって中興されました。
その後、天文年間(1532〜1555年)には津波で社殿が被災し、復興のために山の上に移されました。
また、寛永11年(1634年)には初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社となり、延宝3年(1675年)には政親公によって現在地である「岩城判官政氏公の旧館跡」に移されました。
当時は、諏訪大明神と正八幡宮にも分けて祀られていました。
その後、元禄15年(1702年)には泉藩主・板倉重同(しげあつ)公が水田10石を寄進し、神田として使われることになりました。
延享3年(1746年)には泉藩主が本多忠如公に交代しても、春秋の祭りで米10俵と金子1両が捧げられ、崇敬は変わりませんでした。
現在の社殿は、寛政5年(1793年)に、泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌(ただかず)公によって建てられました。
明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社と合併し、地域の郷社となりました。
さらに、大正4年(1915年)には地元の人々の寄付によって、拝殿前に唐獅子一対が建てられました。
その後、昭和49年(1974年)11月には現在地への300年記念として幣殿拝殿が改築され、令和元年11月には本殿が改修され、さらに大鳥居、神輿庫、手水舎も改築されました。
また、令和3年8月には参道に石畳が新たに敷かれました。

編集前:平安時代の大同年間(806〜810年)ごろ、泉町滝尻字亀石に勧請され、その後、岩城判官政氏公によってお取り立てされ、中興しました。
天文年間(1532〜1555年)には大津波で社殿が被災し、復興のために滝尻山の上に移されました。
寛永11年(1634年)には初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社とされ、延宝3年(1675年)には政親公によって、現在地である岩城判官政氏公の旧館跡に移されました。
当時は、諏訪大明神と正八幡宮に分祀されていました。
元禄15年(1702年)、泉藩主・板倉重同公により、水田10石を神田として寄進しました。
延享3年(1746年)、泉藩主が本多忠如公に代わっても、春秋の祭祀において米10俵・金子1両が祭祀料として捧げられ、崇敬は変わりませんでした。
現在の社殿は、寛政5年(1793年)に、泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌公によって造営されたものです。
明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社と合祀され、郷社に列せられました。
昭和49年(1974年)11月には現在地への御遷座300年を記念して幣殿拝殿が改築され、令和元年11月には本殿が改修され、また大鳥居、神輿庫、手水舎も改築。
さらに、令和3年8月には参道の石畳舗装が新設されました。

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