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2023年05月16日(火) 10時09分 by辰昇
編集前
平安時代の大同年間(806〜810年)ごろ、泉町滝尻字亀石に勧請され、その後、岩城判官政氏公によって御鎮守・お取立て。 天文年間(1532〜1555年)に大津波で社殿が被災したため、復興のため滝尻山の上に移されました。 寛永11年(1634年)には内藤政晴公によって泉藩の祈願社と定められ、延宝3年(1675年)には政親公によって現在地である岩城判官政氏公の旧館跡に移されました。 当時は諏訪大明神と正八幡宮に分祀されていました。 現在の社殿は寛政5年(1793年)に泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌公によって造営されたものです。 明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社が合祀され、郷社に列せられました。 昭和49年(1974年)11月には現在地への御遷座300年を記念して幣殿拝殿を改築し、令和元年11月には本殿改修、大鳥居、神輿庫、手水舎が改築。 また、令和3年8月には参道の石畳舗装が新設されました。
編集後
平安時代の大同年間(806〜810年)ごろ、泉町滝尻字亀石に勧請され、その後、岩城判官政氏公によってお取り立てされ、中興しました。 天文年間(1532〜1555年)には大津波で社殿が被災し、復興のために滝尻山の上に移されました。 寛永11年(1634年)には初代泉藩主・内藤政晴公によって泉藩の祈願社とされ、延宝3年(1675年)には政親公によって、現在地である岩城判官政氏公の旧館跡に移されました。 当時は、諏訪大明神と正八幡宮に分祀されていました。 元禄15年(1702年)、泉藩主・板倉重同公により、水田10石を神田として寄進しました。 延享3年(1746年)、泉藩主が本多忠如公に代わっても、春秋の祭祀において米10俵・金子1両が祭祀料として捧げられ、崇敬は変わりませんでした。 現在の社殿は、寛政5年(1793年)に、泉藩主で江戸幕府老中となった本多忠籌公によって造営されたものです。 明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社と合祀され、郷社に列せられました。 昭和49年(1974年)11月には現在地への御遷座300年を記念して幣殿拝殿が改築され、令和元年11月には本殿が改修され、また大鳥居、神輿庫、手水舎も改築。 さらに、令和3年8月には参道の石畳舗装が新設されました。
