御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2023年04月26日(水) 00時01分 by辰昇
編集前
平安時代の大同年間(806〜810年)頃、現在の泉町滝尻字亀石に神社が建てられ、その後、岩城判官政氏公によって御鎮守・お取立て。 天文年間(1532〜1555年)には大津波によって社殿が被災したため、滝尻山の上に移されました。 寛永11年(1634年)には泉藩主内藤政晴公によって藩の祈願社と定められ、延宝3年(1675年)には内藤政親公によって現在地(岩城判官政氏公の旧館跡)に移されました。 当時は諏訪大明神と正八幡宮に分祀されていました。 現在の社殿は寛政5年(1793年)に泉藩主本多忠籌公によって造営されました。 明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社が合祀され、郷社に列せられました。 昭和49年(1974年)11月には社地御遷座300年を記念して幣殿拝殿を改築し、令和元年11月には本殿改修、大鳥居、神輿庫、手水舎の改築が行われました。 また、令和3年8月には参道の石畳舗装が新設されました。
編集後
平安時代の大同年間(806〜810年)頃、現在の泉町滝尻字亀石に勧請され、その後、岩城判官政氏公によって御鎮守・お取立て。 天文年間(1532〜1555年)には大津波によって社殿が被災したため、滝尻山の上に移されました。 寛永11年(1634年)には泉藩主内藤政晴公によって藩の祈願社と定められ、延宝3年(1675年)には内藤政親公によって現在地(岩城判官政氏公の旧館跡)に移されました。 当時は諏訪大明神と正八幡宮に分祀されていました。 現在の社殿は寛政5年(1793年)に泉藩主本多忠籌公によって造営されました。 明治6年(1873年)には諏訪神社・八幡神社が合祀され、郷社に列せられました。 昭和49年(1974年)11月には社地御遷座300年を記念して幣殿拝殿を改築し、令和元年11月には本殿改修、大鳥居、神輿庫、手水舎の改築が行われました。 また、令和3年8月には参道の石畳舗装が新設されました。
編集前
■本殿 泉藩主・本多忠籌公による造営 ■拝殿 日本画家・大平華泉氏による龍の天井画 ■土塁 鳥居両脇に滝尻城址の土塁が残存 ■狛犬 大正期に阿阿型の狛犬(正確には獅子)一対新造
編集後
■本殿 泉藩主・本多忠籌公による造営 ■拝殿 日本画家・大平華泉氏による龍の天井画 ■土塁 鳥居両脇に滝尻城址の土塁が残存 ■狛犬 阿阿型の狛犬一対(正確には獅子)が大正期に奉納
