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2023年04月25日(火) 22時23分 by辰昇

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ご由緒
編集前
大同年間(806-810)に現在地より東の滝尻亀石に勧請されたと伝わる。
延宝2年(1674)に現在の地に遷座。
寛政8年(1796)に藩主・本多忠籌公により本殿造営。明治6年(1873)に郷社列格。それまでの諏訪・八幡の両社並立を解消し合祀する。 
編集後
泉町の鎮守様、御神威の高い神様は、氏子の人々を日夜お守りくださる神様として崇敬を集めています。
この神様は、平安時代の大同年間(806年〜810年)頃に、亀石ヶ原(現在の泉町滝尻字亀石)に勧請され、岩城判官政氏公により御鎮守・御取立されました。

天文年間(1532年〜1555年)頃には、大津波により社殿が破却され、滝尻山の上に遷座されました。
寛永11年(1634年)、磐城平藩より分知された泉藩の祈願社となり、内藤家泉藩初代藩主の内藤兵部少政晴公によって、岩城判官政氏公の旧館跡(現在地:泉町六丁目)に奉遷されました。
当時は、諏訪大明神・正八幡宮に分祀されていました。

元禄15年(1702年)には、移封され板倉家泉藩初代藩主の板倉佐渡守重同公に代わっても、崇敬を怠ることなく、水田十石を付けて神田としました。
延享3年(1746年)には、移封され本多家泉藩初代藩主の本多越中守忠如公に代わっても、氏神として祀り、更には米十俵、金子一両を祭祀料として、春秋の祭祀を行い、幾世の間、崇厳に営み祀られました。

寛政5年(1793年)、二代藩主の本多弾正大弼忠籌公の御造営によって現在の本殿が建てられました。
明治6年(1873年)には、諏訪、八幡両神が合祀され、郷社に列せられました。
昭和49年11月(1974年)、現在の社地に御遷座300年を記念して、幣殿拝殿が改築され、御稜威・御神徳の昂揚を祈念しました。
令和元年11月(2019年)、天皇陛下の御即位と御鎮座1210年、東日本大震災復興記念として本殿改修、大鳥居・神輿庫・手水舎を改築しました。 
令和三年八月 (2021年) 、参道石畳舗装を新設しました。
アクセス
編集前
■車
いわき湯本ICから約17分

■タクシー
JR泉駅から約4分

■徒歩
JR泉駅から約17分

■バス
JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分

■バス
JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分
編集後
■車
いわき湯本ICから約15分
■タクシー
JR泉駅から約4分
■徒歩
JR泉駅から約17分
■バス
JR泉駅南口→泉六丁目停留所で下車徒歩4分
■バス
JR泉駅南口→泉五丁目停留所で下車徒歩8分
行事
編集前
■春季例大祭
5月5日 神輿渡御ほか

■夏祭
9月敬老の日近くの日曜日 滝尻棒ささら他

■秋季例大祭
10月10日前後の日曜日 流鏑馬神事ほか
編集後
■1月1日
歳旦祭
■1月8日
清祓い(お焚き上げ)
■2月11日
建国際
■5月5日
春季例大祭(神輿渡御)
■9月敬老の日前日
夏祭り(獅子舞・滝尻棒ささら奉納)
■10月第2日曜日
秋季例大祭(神輿渡御・流鏑馬)
■11月30日
新嘗祭
文化財
編集前
■本殿
泉藩主・本多忠籌公による造営

■拝殿
日本画家・大平華泉氏による龍の天井画

■土塁
鳥居両脇に滝尻城址の土塁が残存
編集後
■本殿
泉藩主・本多忠籌公による造営
■拝殿
日本画家・大平華泉氏による龍の天井画
■土塁
鳥居両脇に滝尻城址の土塁が残存
■狛犬
大正期に阿阿型の狛犬(正確には獅子)一対新造