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こくわくらじんじゃ

子鍬倉神社の編集履歴
2023年05月22日(月)
福島県 いわき駅

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ダイコン
2023年05月22日 10時45分

ご由緒

【 社名について 】
子鍬倉(こくわくら)という社名は、日本全国で唯一のものです。
旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
「子」は、養蚕の盛んな時代に蚕を“お子さん”と呼んだことから衣を意味し、「鍬」は農具であり食を意味し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
このように、当社名は「衣食住」を象徴し、神徳を表現した尊い名前です。
【 創建と由緒 】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に創建されたと伝えられています。
また「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある神社である「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【 江戸期の調査と復興 】
当初、当社は古来から平桜町(現在の磐城桜ヶ丘高内)に鎮座していましたが、慶長7年(1602年)には平城主の鳥居忠政が平城を築く際、社地を収めるために当社が荒廃してしまいました。
その後、磐城平藩主の内藤義概(1619-1685)の調査において、平桜町(現在の磐城桜が丘高内)の稲荷の小社の周囲から勾玉などが出土しました。
これをもって子鍬倉神社として比定され、復興に際して現在の揚土に社殿を造営したと伝えられています。
稲荷大明神とも称され、子鍬倉稲荷神社とも呼ばれる所以です。
【 県社の第一号 】
明治6年3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。

編集前:【御社名と創建】
当社は「子鍬倉(こくわくら)」という社名で、旧県社として稲倉魂命を祀り、衣食住の神として尊崇されています。
この社名は、日本全国で唯一のものであり、「子」は「蚕」を意味し、地域においては蚕を大切にし「子」とは衣食を代表する言葉であり、「鍬」は農具を意味して食を代表し、「倉」は物品出納の場所である住を意味しています。
この社名は、「衣食住」を象徴する名前であり、神徳を表現した尊い名前とされています。
【創建と由緒】
当社は古く、平安時代の大同元年(806年)に第51代平城天皇によって創建されたと伝えられています。
また、第60代醍醐天皇の時代には「延喜式」の神名帳に当神社の名前が記載され、由緒ある古い神社として「式内社」と呼ばれ、磐城七社の一つとされました。
かつては磐城四郡の総鎮守と称され、平城三社の一つとしても、歴代の平城主から厚い尊崇を受けていました。
【県社としての地位】
明治6年3月に全国的に社格制度が実施され、その際、磐前県は当神社を県社の第一号に指定しました。
これにより、氏子民は地方神社の最高峰として、敬意を持って神社に参拝し、現在でも「県社」という愛称で親しまれています。
【遷座の経緯】
当初、当社は古来から平桜町(現在の磐城桜ヶ丘高内)に鎮座していましたが、慶長7年(1602年)には平城主の鳥居忠政が平城を築く際、社地を収めるために当社が荒廃してしまいました。
その後、元和年間には平城主の内藤公が神を敬い、その荒廃を嘆いたため、現在の揚土台に当社を遷座したと伝えられています。

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