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しょうぎょういん|真言宗智山派三函山

勝行院(法海寺)の編集履歴
2023年05月14日(日)
福島県 湯本駅

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ダイコン
2023年05月14日 15時08分

ご由緒

勝行院は、大同2年(807年)に南都の僧・徳一大師によって創建され、御朱印十石を領した古刹であり、市民は通称「中の寺」と呼んで親しんでいます。
永正17年(1520年)に円鏡禅師が釈迦堂を建立しましたが、寛政10年(1798年)には火災で焼失しました。
そこで幻如上人が文化13年(1816年)に、19年にもわたる托鉢勧進によって釈迦堂を再建しました。
なお、堂内に安置されている寺宝である木造釈迦如来坐像は、南北朝時代(14世紀)に運慶が彫ったと伝えられる仏像で、寄木造りで漆箔が施され、玉眼が入っています(福島県指定重要文化財)。
また、当山本尊の不動明王は、時の藩主内藤公の寄進による智証大師の作とされています。
当山第38世宗親代には、寺域の拡張を図り、「三重塔、鐘楼、宸殿、収蔵庫、不動堂、大師堂、聖徳太子堂、三社権現、本坊」に加え、塔頭である一視軒、秋葉坊、巽門、乾門、千体地蔵など七堂伽藍の整備を行いました。

編集前:勝行院は、大同2年(807年)に南都の僧徳一大師によって創建され、御朱印十石を領した古刹であり、市民は通称「中の寺」と呼んで親しんでいます。
永正17年(1520年)に円鏡禅師が釈迦堂を建立しましたが、寛政10年(1798年)に火災で釈迦堂が焼失しました。
幻如上人が文化13年(1816年)に荒廃したこの堂宇を、19年にもわたる托鉢勧進によって再建し、その来歴は幻如照禅塔に詳しく説明されています。
なお、堂内に安置されている寺宝である木造釈迦如来坐像は、南北朝時代(14世紀)に運慶が彫ったと伝えられる仏像で、寄木造りで漆箔が施され、玉眼が入っています。
昭和51年(1976年)には福島県指定重要文化財に指定されました。
また、当山本尊の不動明王は、時の藩主内藤公の寄進による智証大師の作とされています(明治大学『内藤古文書』による)。
当山第38世宗親代には、寺域の拡張を図り、「三重塔、鐘楼、宸殿、収蔵庫、不動堂、大師堂、聖徳太子堂、三社権現、本坊」に加え、塔頭である一視軒、秋葉坊、巽門、乾門、千体地蔵など七堂伽藍の整備を行いました。

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