たかでらかんのんどう
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高照観音堂の編集履歴
2023年05月17日 19時16分
ご由緒
【 高照山と高照観音堂 】
高照山は海抜126mで、鹿島町の山岳地帯では最も高い山です。
高照観音堂はその山の8合目付近の平坦地にあり、そこへたどり着くには登りで約20分、下りで約15分の道のりがあります。
磐城三十三所観音の中でも、最も厳しいとされています。
【 御詠歌と東泉寺 】
御詠歌に登場する「東泉寺」という寺は、観音堂へ登る道の西方に位置していた寺でしたが、明治初年(1868年)に廃寺となり、現在は存在しません。
【 高照観音堂の歴史 】
この観音堂は永禄年間( 1558-1570年)と元文年間(1736-1741年)に焼失し、再建されましたが、大正元年(1912年)の11月18日に再び火災に遭い、京都から勧請された等身大の木造十一面観音もお堂と共に焼失してしまいました。
そのため、お堂は大正2年(1913年)7月に再建され、京都から鋼製の御本尊が再勧請されました。
しかし、昭和4年(1929年)2月の走熊大火(鹿島村内の家屋40戸が焼失)の際に再び延焼し、お堂と尊像は灰燼と化してしまいました。
【 一時的な観音堂と再建 】
地元の人々は自身の苦境の中で、昭和4年(1929年)7月の縁日までに遺跡に岩石を組んで、ほこら型の小さな堂宇を築きました。
また、当時としては大金となる30円を投じ、像高約30cmのからがね製の十一面観音を仮の観音堂に納めました。
昭和45年(1970年)8月、村の各戸が幸せな生活を祈り、耐火構造のお堂を建て、厳かに御本尊を安置しました。
お堂の古い歴史は火災によって奪われましたが、地元の人々は大同2年(807年)徳一大師開基の伝承を誇りにし、厚く観音を敬信しています。
創立
大同2年(807年)
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