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2023年05月21日(日) 08時39分 byダイコン
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【 神職の歴史 】 佐藤家は延暦2年(783年)に佐藤権守藤原吉次が熊野権現を勧請し、自らが神職となって奉祀したと伝えられています。 当時は大祢宜や小祢宜、そして多くの氏子がおり、神事を司りました。 また、六つの供僧院が存在し、神蔵寺や藤本坊、川上坊、玉川寺、本宮坊、的本坊などがありました。 さらに、修験の坊や祭礼時の流鏑馬の宿坊もあり、9月29日の祭礼では山伏や騎馬の行者たちが装束を身にまとい、大床祓や大柏子羯鼓笛などの儀式が行われ、下川での潮垢離の行事も行われました。 上中下藤原の産子たちも皆、奉仕に当たりました。 【 鳥居公による社殿建立とその後の改築 】 元和2年(1616年)、磐城旧領主の鳥居公によって当社が建立されました。 旧領主の内藤因幡守の祈願により、黒印地上畑4畝15歩と下畑2畝15を寄進されました。 明治13年(1880年)11月2日には社殿が大破し、新築の申請が行われ、明治18年(1885年)4月30日に新しい社殿が完成しました。 その後、向拝の増築や狛犬の建設も行われました。 昭和16年(1941年)9月16日には、東京都墨田区柳瀬製作所の社長である柳瀬富士男氏が社前の荒廃に悲しみ、村人と協力して湯の岳の浄材を使用して竣工しました。 【 柳瀬氏の寄附と神社への貢献 】 柳瀬氏の寄附は村民たちから敬意を集めるものであり、狛犬も故人である亦父君柳瀬兵太郎氏と共に寄附されました。 柳瀬氏の息子である秀男君も神の御心を大切にし、多額の寄附を行い、神社の興隆に貢献しています。 【 熊野神社の神様とその特徴 】 特に信義を厳格に重んじる神様であり、昔から熊野牛王神符に起請文や誓約書を書き、その誓約は絶対に破られないという事実が特筆すべきものです。 当社では神輿の渡御を5年ごとに盛大に執り行っています。 また、明治2年4月1日に旧神号である熊野太神宮から熊野神社への改称が行われました。
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延暦2年(783年)
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佐藤権守藤原吉次