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あまつかんのんどう

天津観音堂の編集履歴
2023年05月17日(水)
福島県 内郷駅

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ダイコン
2023年05月17日 00時27分

ご由緒

【 天津観音の別当寺 】
天津観音の別当寺は、かつて天津山蔵勝寺として存在し、観音堂の右下側に建てられていました。
しかし、宝暦年間(1751~1764年)前後の夏祭りの夜に、祭りの合図となる花火が不発となり、蔵勝寺のかやぶき屋根に落下してしまいました。
不幸にもその火が屋根に引火し、寺は炎に包まれてしまいました。
その後、蔵勝寺の建物があった場所に、いま枝垂れ桜が巨大な木となり、春になるたびに美しく寺の名残を見せています。
【 天津観音堂の建立と歴史 】
天津観音堂は、県道から約200メートルほど登った杉木立の山間に建っており、明治43年に堂修繕の記録がありますが、古い棟札は見つかっていないため、詳細はわかりません。
しかし、堂内には寛保2年(1742年)の奉納絵馬があり、棟札の代わりとして堂宇の古さを証明しています。
【 御本尊とその特徴 】
御本尊の十一面観音高さは約60cmほどで、赤みを帯びた美しい木肌をしています。
頭上の化仏は一体を残すのみで、周囲には小さな九つの穴があり、かつては10体の化仏が置かれていたことを物語っています。
【 御本尊の特殊な形態 】
驚くべきことに、手の部分は肩から寄せ木造りとなっており、肩を支えとして下部が前後に動くことで脇腹を隠しています。
御本尊の腹部は両脇から広く彫り込まれており、内部には数センチの観音仏2体が納められています。
俗に言うところの「腹ごもりの観音様」です。
こうして、ひげを生やした御本尊は、何百年にもわたって衆生と共に歳月を重ねてきたのです。

編集前:【天津観音の別当寺】
天津観音の別当寺は、かつて天津山蔵勝寺として存在し、観音堂の右下側に建てられていました。
しかし、宝暦年間(1751~1764年)前後の夏祭りの夜に、祭りの合図となる花火が不発となり、蔵勝寺のかやぶき屋根に落下してしまいました。
不幸にもその火が屋根に引火し、寺は炎に包まれてしまいました。
その後、蔵勝寺の建物があった場所に、いま枝垂れ桜が巨大な木となり、春になるたびに美しく寺の名残を見せています。
【天津観音堂の建立と歴史】
天津観音堂は、県道から約200メートルほど登った杉木立の山間に建っており、明治43年に堂修繕の記録がありますが、古い棟札は見つかっていないため、詳細はわかりません。
しかし、堂内には寛保2年(1742年)の奉納絵馬があり、棟札の代わりとして堂宇の古さを証明しています。
【御本尊とその特徴】
御本尊の十一面観音高さは約60cmほどで、赤みを帯びた美しい木肌をしています。
頭上の化仏は一体を残すのみで、周囲には小さな九つの穴があり、かつては10体の化仏が置かれていたことを物語っています。
【御本尊の特殊な形態】
驚くべきことに、手の部分は肩から寄せ木造りとなっており、肩を支えとして下部が前後に動くことで脇腹を隠しています。
御本尊の腹部は両脇から広く彫り込まれており、内部には数センチの観音仏2体が納められています。
俗に言うところの「腹ごもりの観音様」です。
こうして、ひげを生やした御本尊は、何百年にもわたって衆生と共に歳月を重ねてきたのです。

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