しらみずあみだどう|真言宗智山派|菩提山
白水阿弥陀堂の編集履歴
ご由緒
【 建立と歴史 】
白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年(永暦元年)に、岩城則道(岩城氏の祖)の妻であり、藤原清衡の娘である徳姫によって建立されました。
徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建て、その一部に阿弥陀堂を建立しました。
この阿弥陀堂は後に後鳥羽上皇によって勅願寺とされました。
江戸時代には、徳川将軍家から寺領10石を与えられ、歴代の為政者によって保護され、現在まで存在しています。
【 国宝と史跡指定 】
阿弥陀堂は明治35年(1902年)7月に、当時の古社寺保存法に基づいて特別保護建造物に指定され、昭和27年(1952年)3月29日には文化財保護法に基づく国宝に指定されました。
この堂は、近くに所在する願成寺の所有となっており、また、池を含む浄土庭園の大部分はいわき市の所有・管理となっています。
【 建築様式と仏像 】
阿弥陀堂は方三間(正面・側面ともに柱が4本立ち、柱間が3間となる)の単層宝形造で、屋根はとち葺きです。
堂内はかつて内陣の天井や長押、来迎壁(本尊背後の壁)などが絵画で荘厳に飾られていましたが、現在は一部の痕跡のみが残っています。
内陣の須弥壇上には、阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像、さらに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されています。
このような平安時代の建築物は、東北地方には現存するものが限られており、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)や高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)とともに、珍しい存在です。
【 庭園と地名の由来 】
阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、正面に当たる南から中の島を経由して堂に至る参拝道が設けられています。
さらに北・東・西は山に囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様式を成しています。
これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院など、平泉の寺院の構造に影響を受けています。
「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けたものであり、岩城氏の本拠地であった「平」という地名の由来も、平泉の「平」を取ったものだという説があります。
【 東日本大震災と修復 】
2011年3月11日に発生した東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されましたが、2012年7月に修復が終了し、再開されました。
同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像は京都に送られ、修復作業が行われました。
見所
白水阿弥陀堂は、福島県いわき市に位置する平安時代末期に建立された仏堂です。
この仏堂は願成寺という寺院が所有しています。
福島県内では唯一の国宝建造物として認定されております。
また、この仏堂を含む境内地は浄土式庭園を含み、白水阿弥陀堂境域として国の史跡に指定されております。
文化財
・阿弥陀堂…国宝建造物
・木造阿弥陀如来及両脇侍像 3躯…国指定重要文化財
・木造持国天立像(寺伝広目天像)…国指定重要文化財
・木造多聞天立像 2躯…国指定重要文化財
・白水阿弥陀堂境域…国指定史跡
・法華経版木…市指定有形文化財
・白水阿弥陀堂の大イチョウ…市指定天然記念物