ほうとくいん|真言宗智山派|青木山
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宝徳院の編集履歴
2023年05月14日 08時59分
ご由緒
寶徳院は、 宝徳三年 (1451)に常陸国佐久山氏出の宥徳上人によって開創され、宝徳の年号から寶徳院と名付けられた。
その後 、 慶長十三年 (1608) に寶徳院は末寺七十四ヶ寺を有し、徳川三代将軍家光より御朱印三十石を下賜されたが 明治に起った神仏分離令によって廃寺となった。
廃寺となった寶徳院は、大正六年 (1917) に川崎大師佐伯隆連大僧正の尽力をうけて再興され、現在に至っている。
本尊の弘法大師像は、開山宥徳上人が高野山から招来したと伝えられ、慶安二年三月二十一日正御影供にむかえた御厨子に安置され、ふるくから厄除開連の利益をもって篤信されている。
また、昭和二十四年には川崎大師分霊場が開かれ、さらに厄災消除・開運招来の寺院として信仰をあつめている。
編集前:寶徳院は、 宝徳三年 (一四五一)に常陸国佐久山氏出の宥徳上人によって開創され、宝徳の年号から寶徳院と名付けられた。
その後 、 慶長十三年 (一六〇八) に寶徳院は末寺七十四ヶ寺を有し、徳川三代将軍家光より御朱印三十石を下賜されたが 明治に起った神仏分離令によって廃寺となった。
廃寺となった寶徳院は、大正六年 (一九一七) に川崎大師佐伯隆連大僧正の尽力をうけて再興され、現在に至っている。
本尊の弘法大師像は、開山宥徳上人が高野山から招来したと伝えられ、慶安二年三月二十一日正御影供にむかえた御厨子に安置され、ふるくから厄除開連の利益をもって篤信されている。
また、昭和二十四年には川崎大師分霊場が開かれ、さらに厄災消除・開運招来の寺院として信仰をあつめている。
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