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2023年05月19日(金) 16時49分 byダイコン
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【 創建 】 大同2年(807年)、災害に苦しむこの地域を徳一大師が訪れ、自ら彫った観音像を7ヶ所に祀ったと伝えられています(菊多七観音)。 その中の一つが富澤観音です。 【 建て替えの記録 】 109段の石段を登ると、石燈籠を構えて大きな観音堂が建っています。 棟札によれば、延宝8年(1680年)にお堂の建て替えが行われたことが記されています。 そして、48年後の享保13年(1728年)に三間四方のお堂が再建されました。 さらに、18年後の寛保3年(1743年)にまたお堂が建て替えられました。 【 殿様の老中格就任を祝った現在のお堂 】 藩政時代の川部町は泉藩に属しており、名君として慕われた藩主の本多忠籌(たたかず)公が老中格に就任したことを祝って寛政3年(1791年)に建て替えられ、現在のお堂になりました。 また寛政6年(1794年)には109段の石段が組まれました。 当時の庄屋であった結城氏(代々のお堂の鍵主である蛭田家の祖先)は、再度にわたり建立資金の半額を負担していました。 当時の別当は明治初年に廃寺となった、富沢山無量院長楽寺という寺でした。 【 本尊の特徴 】 本尊の聖観音立像は木造寄せ木造りで、均衡のとれた光背を背にし、蓮華座に立っています。 顔容のおだやかさと指のかたちのふくよかさは、悩める者を招き慈悲を与えるお姿です。 【 地元の協力 】 お堂を維持するために、安永4年(1775年)には屋根替えが行われ、嘉永3年(1850年)にも屋根替えが行われました。 さらに昭和25年(1950年)には屋根を瓦に、昭和54年(1979年)には回廊を修復、平成13年(2001年)には屋根を修復されました。 これらの修復は地元の方々によって行われました。
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【 創建 】 大同2年(807年)、災害に苦しむこの地域を徳一大師が訪れ、自ら彫った観音像を7ヶ所に祀ったと伝えられています(菊多七観音)。 その中の一つが富澤観音です。 【 建て替えの記録 】 109段の石段を登ると、石燈籠を構えて大きな観音堂が建っています。 棟札によれば、延宝8年(1680年)にお堂の建て替えが行われたことが記されています。 そして、48年後の享保13年(1728年)に三間四方のお堂が再建されました。 さらに、18年後の寛保3年(1743年)にまたお堂が建て替えられました。 【 殿様の老中格就任を祝った現在のお堂 】 藩政時代の川部町は泉藩に属しており、名君として慕われた藩主の本多忠籌(たたかず)公が老中格に就任したことを祝って寛政3年(1791年)に建て替えられ、現在のお堂になりました。 また寛政6年(1794年)には109段の石段が組まれました。 当時の庄屋であった結城氏(代々のお堂の鍵主である蛭田家の祖先)は、再度にわたり建立資金の半額を負担していました。 当時の別当は明治初年に廃寺となった、富沢山無量院長楽寺という寺でした。 【 本尊の特徴 】 本尊の聖観音立像は木造寄せ木造りで、均衡のとれた光背を背にし、蓮華座に立っています。 顔容のおだやかさと指のかたちのふくよかさは、悩める者を招き慈悲を与えるお姿です。 【 地元の協力 】 お堂を維持するために、安永4年(1775年)には屋根替えが行われ、嘉永3年(1850年)にも屋根替えが行われました。 さらに昭和25年(1950年)には屋根を瓦に、昭和54年(1979年)には回廊を修復、平成13年(2001年)には屋根を修復されました。 これらの修復は地元の方々によって行われました。