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とみさわかんのんどう

富澤観音堂の編集履歴
2023年05月19日(金)
福島県 植田駅

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ダイコン
2023年05月19日 16時12分

ご由緒

【 創建 】
大同2年(807年)、災害に苦しむこの地域を徳一大師が訪れ、自ら彫った観音像を7ヶ所に祀ったといわれています(菊多七観音)。
そのひとつが富澤観音です。
【 建て替えの記録 】
109段の石段を登ると、石燈籠を構えて大きな観音堂が建っています。
棟札によれば、延宝8年(1680年)にお堂の建て替えが行われたことが記されています。
そして、48年後の享保13年(1728年)に三間四方のお堂が再建されました。
さらに、18年後の寛保3年(1743年)にまたお堂が建て替えられました。
【 殿様の老中格就任を祝った現在のお堂 】
藩政時代の川部町は泉藩に属しており、名君として慕われた藩主の本多忠籌(たたかず)公が老中格に就任したことを祝って寛政3年(1791年)に建て替えられ、現在のお堂になりました。
また寛政6年(1794年)には109段の石段が組まれました。
当時の庄屋であった結城氏(代々のお堂の鍵主である蛭田家の祖先)は、再度にわたり建立資金の半額を負担していました。
当時の別当は明治初年に廃寺となった、富沢山無量院長楽寺という寺でした。
【 本尊の特徴 】
本尊の聖観音立像は木造寄せ木造りで、均衡のとれた光背を背にし、蓮華座に立っています。
顔容のおだやかさと指のかたちのふくよかさは、悩める者を招き慈悲を与えるお姿です。
【 地元の協力 】
お堂を維持するために、安永4年(1775年)には屋根替えが行われ、嘉永3年(1850年)にも屋根替えが行われました。
さらに昭和25年(1950年)には屋根を瓦に、昭和54年(1979年)には回廊を修復、平成13年(2001年)には屋根を修復されました。
これらの修復は地元の方々によって行われました。

編集前:【 建て替えの記録 】
109段の石段を登ると、石燈籠を構えて大きな観音堂が建っています。
棟札によれば、延宝8年(1680年)にお堂の建て替えが行われたことが記されています。
そして、48年後の享保13年(1728年)に三間四方のお堂が再建されました。
さらに、18年後の寛保3年(1743年)にまたお堂が建て替えられました。
【 殿様の老中格就任を祝った現在のお堂 】
藩政時代の川部町は泉藩に属しており、名君として慕われた藩主の本多忠籌(たたかず)公が老中格に就任したことを祝って寛政3年(1791年)に建て替えられ、現在のお堂になりました。
また寛政6年(1794年)には109段の石段が組まれました。
当時の庄屋であった結城氏(代々のお堂の鍵主である蛭田家の祖先)は、再度にわたり建立資金の半額を負担していました。
当時の別当は明治初年に廃寺となった、富沢山無量院長楽寺という寺でした。
【 本尊の特徴 】
本尊の聖観音立像は木造寄せ木造りで、均衡のとれた光背を背にし、蓮華座に立っています。
顔容のおだやかさと指のかたちのふくよかさは、悩める者を招き慈悲を与えるお姿です。
【 地元の協力 】
お堂を維持するために、安永4年(1775年)には屋根替えが行われ、嘉永3年(1850年)にも屋根替えが行われました。
さらに昭和25年(1950年)には屋根を瓦に、昭和54年(1979年)には回廊を修復、平成13年(2001年)には屋根を修復されました。
これらの修復は地元の方々によって行われました。

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