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2023年05月25日(木) 00時55分 byダイコン

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ご由緒
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【沿革・由来】
大同2年(807年)紀州熊野の新宮より別当日下大膳が御分霊を当初は長子の地に奉斎し、その後、弘仁元年(810) 現在の大島に勧請したと伝えられています。
しかも霊験あらたかなるところから、菊田荘司が刀剣を鋳造して奉納され、爾来、御宝刀殿大権現として尊崇されました。
更に文禄5年4月23日、常陸城々主佐竹又七郎より、黒印220石を旧菊田郷の総鎮守として寄進され、今尚敬神の念を篤くし多数の参拝者を迎えています。
【稚児田楽・風流】
当社の田楽と獅子舞は古代の民俗芸能が伝承されたものであり、昭和47年4月13日福島県重要無形文化財(指定第一号)、昭和51年5月4日文化長官により「御宝殿熊野神社田楽風流」として国重要無形民俗文化財(第一回10号)に指定されました。
令和の今日に及んでも、賑やかな各種の行事「風流」と共に終日社頭の内外に、平安絵巻さながら奉納行事が執りおこなわれています。
近年、常磐・磐越道などの高速交通の利便により、遠方からの参詣者や文化財の採訪に陪観を呈しております。
編集後
【 三所権現の勧請と尊崇 】
大同2年(807年)、別当日下大膳は紀州熊野の新宮・本宮・那智の三所より分霊を勧請し、現在の錦町長子の地に仮宮を建てました。
伝説によれば、仮宮から三羽の鳥が飛び出し現在の社地に止まったことから、弘仁元年(810年)に遷宮されたと言われています。
霊験あらたかなるところから、菊田荘司が刀剣を鋳造して奉納し、以来、御宝刀殿大権現として尊崇されてきました。
さらに、文禄5年(1596年)4月23日には、常陸城主の佐竹又七郎から黒印220石が寄進され、旧菊田郷の総鎮守となりました。
【 奥宮と里宮・祭り 】
田人町の御斎所山熊野神社は奥宮と呼ばれ、御宝殿熊野神社は里宮と呼ばれ、両神社の祭神は姉妹関係にあたると伝えられています。
御斎所山熊野神社では、7年に1度神輿が下山し、浜下りの儀式が行われる例大祭があります。
御宝殿熊野神社との表敬参拝の後、2つの神社の神輿が同時に出社し、途中で別れ、御宝殿は元宮に向かい、他方は御斎所山に戻ります。
(昭和42年以降中断、平成25年復活)
【 田楽・獅子舞の伝承と文化財指定 】
当社の田楽と獅子舞は古代の民俗芸能が伝承されたものであり、昭和47年4月13日に福島県の重要無形文化財(指定第一号)に指定されました。
さらに、昭和51年5月4日には文化長官によって「御宝殿熊野神社田楽・風流」として国の重要無形民俗文化財(第一回10号)に指定されました。
令和の今日に至っても、田楽・獅子舞を含む様々な行事「風流」が賑やかに行われており、終日社頭の内外で平安絵巻のような奉納行事が執り行われています。