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ほうじゅいん まんりゅうじ|真言宗智山派阿遮羅山

宝聚院 満龍寺の編集履歴
2023年05月14日(日)
福島県 小川郷駅

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ダイコン
2023年05月14日 11時01分

ご由緒

「寶聚院」の縁起(天明元年9月・当山第22世禅 治周泉書)によると、治暦年中(1065-1069)、源義家が奥州征討の途中に、僧真海が戦勝祈願を行うために小玉の池に開創したのが、当山の始まりだと伝えられています。
現在地に移転したのは、正安元年(1299)の水害によって諸堂が流失したためで、その後、康安元年(1361)に宥俊和尚の代に中柴館主小川氏より寺領17石を下賜され、第11世日勢和尚の代には阿遮羅山寶聚院満瀧寺の号を賜わったとされています。
寛永年中(1624-1644)、鳥井忠政公が江戸において、将軍家光公号大猷院御より寶聚院に対して、御朱印17石、山林25町が下賜されました。
現在の本堂は、天保元年(1830)に再建され、維持されています。
当山には「お願い石」という珍しい黒石があります。
この「お願い石」は、平成2年7月に第38世典資現住が大日如来をお迎えし、一人でも多くの人々が生きる喜びや、生き抜く勇気を持って生活できるようにと、一つ一つ加持を修したものであり、多くの人々が訪れてその願いを祈念しています。

編集前:寶聚院の縁起(天明元年九月・当山第二十二世禅 治周泉書)に、治暦年中(一〇六五~六九)、源義家が奥州征討の途に、僧真海が戦勝祈願を修し、小玉の池に開創したのが、当山の始まりと伝えている。
現在地に移転したのは、正安元年(一二九九)の 水害によって諸堂が流失したためで、その後、康安元年(一三六一)、宥俊和尚代に中柴館主小川氏より寺領十七石を下賜され、第十一世日勢和尚代には阿遮羅山寶聚院満瀧寺の号を賜わった。
寛永年中(一六二四〜四四)、鳥井忠政公が江戸において、将軍家光公号大猷院御より寶聚院にたいし、御朱印十七石、山林二十五町が下賜された。
現在の本堂は、天保元年(一八三〇)に再建され、維持されている。
当山には「お願い石」という珍らしい黒石がある。
この「お願い石」は、平成二年七月に第三十八世典資現住が大日如来をお迎えし、一 人でも多くの人々が生きる喜びや、生きぬく勇気をもって生活できるようにと、一つ一つ加持を修したものであり、多くの人々が訪れてその願いを祈念 している。

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