御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

しゅつぞうじ|真言宗智山派大櫻山

出蔵寺(出蔵観音)の編集履歴
2023年05月14日(日)
福島県 勿来駅

ダイコンさんのプロフィール画像
ダイコン
2023年05月14日 14時38分

ご由緒

出蔵寺は徳一菩薩によって大同2年(807年)に開かれたと伝えられていますが、その後の寺の歴史は明確ではありません。
権大僧都有意和尚によって寛政9年(1797年)に再興されました。
現在の本堂はその頃に建てられ、正面の欄間には龍の彫刻があり、その左右には月と太陽が刻まれています。
明治初年の神仏分離令により、寺は無住となりましたが、大正3年(1914年)、宝厚和尚によって真言宗豊山派から智山派に改宗され、再び中興されました。

出蔵寺には明治11年(1878年)の観音堂火災の際、出現したと伝えられる「一往古形鍬」と「書き付け」が現存しています。
この鍬は、養老年間の民話『酒井の井戸』でも登場し、当時の寺の建設にも使用されたとされています。
境内には、磐城三十三観音第10番札所の出蔵観音堂があり、千手観世音菩薩が祀られています。

観音堂ですが、この酒井地区は藩政時代棚倉藩に属していました。
明治元年(1868)の神仏分離令は寺院を非常に抑圧し、徹底的に排仏毀釈の方向へ進んで、仏具・経文などを破壊する運動が激化し、観音堂はある人によって、水戸へ三夜様のお堂として金15両で売却され、白木造りで等身大の御本尊千手観音は山へ捨てられました。
幸いなことに、千手観音像は地元の故荒川兵衛氏によって拾われ、同氏宅に保管されたため、昭和13(1938)年の観音堂再建を期にお堂の中へ戻りましたが、この悲惨な出来事で、観音様は多くの手を失ってしまいました。
水戸の三夜様のお堂は今も昔のままで建っていますが、売却の際に出蔵寺の飾り竜も含まれていたようで、双竜の一つが出蔵寺に、もう一つが水戸の三夜様のお堂にあると言われています。
このような、観音様の災難に関する証拠の書類が、同地区の区有文書の中に現存しているとされています。
出蔵寺では、観音の痛々しい出来事を知って、今でも日々燈火を灯し、衆生を救う観音様を厚くお守りしています。

編集前:出蔵寺は大同二年(807)に徳一菩薩の開山と伝えられているが、その後の寺歴は定かではなく、 寛政九年(1797)に権大僧都有意和尚が中興開山している。
現在の本堂は、その当時に建立したといわれており、正面の欄間には龍の彫刻が、その左右には月と太陽が彫られてある。
その後、明治初年の神仏分離令によって無住となり、大正三年(1914)宝厚和尚によって真言宗豊山派から智山派に改宗され、再中興をなして現在に至っている。
出蔵寺には明治十一年(1878)観音堂破堂の際、台座下から出現したといわれる一往古形鍬」と「書き付け」が現存する。
この鍬は養老年間の孝子 の民話『酒井の井戸』として残されており、当時建 立の時にも使用されたと伝えられ、境内には磐城三十三観音第十番札所の出蔵観音堂があって、千手観世音菩薩が祀られている。

ログインすると情報を追加/編集できます。