御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2023年05月17日(水) 15時32分 byダイコン
編集前
大同2年(807)に高僧釈徳一大師が創建したと伝えられています。 文明年間(1469-1496)中に、真言密教で念願を叶える道場に中興開山し、以後、領主窪田藩山城城と岩城親隆夫人から篤信されて栄え、徳川家光以来歴代将軍に二十五石を受けた御朱印寺で、勿来駅にあった大門から七堂を境内に配した大寺院でした。 御本尊は大日如来。他に阿弥陀如来2体、如意輪観音、延命地蔵尊、波切不動尊、薬師如来が祀られています。 所蔵する県指定重要文化財の、紺紙金字法華経8巻は、紺紙に金泥で経文が書かた見事な装飾経で、見返しに経文の趣意を表す絵が描かれ、軸は水晶が用いられています。 平安時代から鎌倉時代初期の法華経信仰が広まった時代に書かれたものと伝えられています。 また、江戸時代3代将軍徳川家光以降の歴代将軍から届けられた朱印状、1577年に岩城親隆夫人の桂樹院が松山寺に宛てた書状などの、古文書が伝承されています。 江戸時代の俳人内藤露沾に勿来八景・関田晩鐘として詠まれた景勝地で、句碑が鐘楼の側に建立されています。
編集後
【 創建と歴史 】 大同2年(807)に高僧釈徳一大師が創建したと伝えられています。 文明年間(1469-1496)中に、真言密教で念願を叶える道場に中興開山し、以後、領主窪田藩山城城と岩城親隆夫人から篤信されて栄え、徳川家光以来歴代将軍に25石を受けた御朱印寺で、勿来駅にあった大門から七堂を境内に配した大寺院でした。 【 関田観音の由緒 】 また同寺に伝わる縁起書の中に、 「大同2年(807)徳一菩薩遊化の日に、自ら彫刻した観音像を安置し、本堂を作った。大同2年6月18日のことである」 という記述があり、これが関田観音の由緒です。 【 御本尊と文化財 】 御本尊は大日如来。他に阿弥陀如来2体、如意輪観音、延命地蔵尊、波切不動尊、薬師如来が祀られています。 所蔵する県指定重要文化財の、紺紙金字法華経8巻は、紺紙に金泥で経文が書かた見事な装飾経で、見返しに経文の趣意を表す絵が描かれ、軸は水晶が用いられています。 平安時代から鎌倉時代初期の法華経信仰が広まった時代に書かれたものと伝えられています。 また、江戸時代3代将軍徳川家光以降の歴代将軍から届けられた朱印状、1577年に岩城親隆夫人の桂樹院が松山寺に宛てた書状などの、古文書が伝承されています。 【 景勝地と句碑 】 江戸時代の俳人内藤露沾に勿来八景・関田晩鐘として詠まれた景勝地で、句碑が鐘楼の側に建立されています。