ぶつごやまかんのんどう
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仏護山観音堂の編集履歴
2023年05月17日 15時03分
ご由緒
【 起源と伝説 】
一般的には仏具観音と呼ばれますが、地元では仏護山観音と呼ばれており、棟札にも「仏護」という文字が使われていました。
地元の長老によれば、その事情は以下の通りです
昔、約5km先にある霊地仏具山に観音堂が祀られていましたが、ある年に火災に遭いました。
そのとき、仏具観音の火の玉が山玉地内(現在の観音堂の場所)に舞い降りたため、地元では竹棚を作ってこれを供えるようになり、以来その地を「竹棚」と呼ぶようになりました。
やがてそこに観音堂が建てられ、仏具山の観音を護ることから仏護山観音堂と呼ばれるようになったと言われています。
【 火災と再建の歴史 】
明治31年の旧11月9日に火災が発生し、観音堂は真っ黒こげに焼け、御本尊も形も崩れました。
その日の夜半、高さ約3尺の仮殿に御本尊を納め、一時的に上小川の浄円寺に移されました。
そして翌年の3月17日には、広さ1坪半のお堂を再建し、元の地に戻されました。
大正14年には製薬王・星一氏らの協賛により、現在の黄金色に輝く寄木造りの聖観音像が建てられ、旧本尊と共に厨子へ納められました。
浄円寺の20世禅立叟氏が導師となり、盛大な開眼入仏式が行われました。
【 現在と参道の改修 】
この地域の人々は観音を深く敬愛し、明治35年には聖観音がお乗りになる馬の彫像を奉納し、それはいまも明治33年建立の観音堂に祀られています。
昭和53年には地元の寄進により、境内までコンクリート舗装が施されました。
それにより、仏護山観音の参道は急坂や悪路といった巡礼者にとって困難な道ではなくなりました。
現在では、車で一直線に登ることができるようになっています。
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