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2025年01月26日(日) 04時44分 byくし
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この日限地蔵尊は徳一大師の作にして、永禄4年(1561年)芦名盛氏 向羽黒山に城郭を構えしとき、夢のお告げにより城中の丑沼から出現し給うところの菩薩であるといわれる。 盛氏がここ草山の麓に供来山と号した西光寺を建て安置して、領民の安稔を祈る祈願所にしたという。 その後、盛興の早世により城を廃し再び黒川城に復帰。 従って地蔵尊などは府下大町(赤井町)に移されたものであるが、この村に「重吉」という農夫がおり、三尊の内、日限尊の復古を請うて、天保年間に現在の堂宇が再建されたのである。 以来、学問と長寿の菩薩として受け継がれ、毎年七月二十四日が祭日となっている。 (案内板より) 【補足】 群馬県館林市の深諦寺に伝わる伝承によると、丑沼から出現した地蔵尊は三体あり、そのうちの一体と伝わるものが深諦寺本尊の日限地蔵尊として祀られている。 もう一体は「東京白金の朝辰和尚」なる僧が持ち帰ったと伝わるが所在不明。
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この日限地蔵尊は徳一大師の作にして、永禄4年(1561年)芦名盛氏 向羽黒山に城郭を構えしとき、夢のお告げにより城中の丑沼から出現し給うところの菩薩であるといわれる。 盛氏がここ草山の麓に供来山と号した西光寺を建て安置して、領民の安稔を祈る祈願所にしたという。 その後、盛興の早世により城を廃し再び黒川城に復帰。 従って地蔵尊などは府下大町(赤井町)に移されたものであるが、この村に「重吉」という農夫がおり、三尊の内、日限尊の復古を請うて、天保年間に現在の堂宇が再建されたのである。 以来、学問と長寿の菩薩として受け継がれ、毎年七月二十四日が祭日となっている。 (案内板より) 【補足】 群馬県館林市の深諦寺に伝わる伝承によると、丑沼から出現した地蔵尊は三体あり、そのうちの一体と伝わるものが深諦寺本尊の日限地蔵尊として祀られている。 もう一体は「東京白金の朝辰和尚」なる僧が持ち帰ったと伝わっており、港区白金の松秀寺の日限地蔵尊がこれにあたるらしい。