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都々古別神社(八槻)ではいただけません
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つつこわけじんじゃ(やつき)

都々古別神社(八槻)のお参りの記録(1回目)
福島県近津駅

投稿日:2024年06月06日(木)
#八槻都々古別神社

ご祭神はアジスキタカヒコネの命、ヤマトタケルの尊。

#日本武尊

ここよりも5kmほど北にも同じく都々古別神社という神社がある。特に区別する場合は鎮座する地名を冠し、南を八槻都々古別神社、北を馬場都都古和氣神社と呼ぶようだ。

そのうち八槻(やつき)という地名に関しては、陸奥国風土記逸文にも言及がある。

それによると、八槻はかつて土蜘蛛の巣窟だった。彼らは八槻に8つの石の砦を築き、そこを根城にして人々から略奪を働いた。
そこで景行天皇は皇子・ヤマトタケルの尊を派遣。だが石でできた要塞は堅固で、さすがの尊も容易には落とせない。苦戦する間に津軽(青森県)からエミシが南下し、土蜘蛛に加勢した。
そこで尊は矢を7本、次いで8本、発射した。最初の7発がエミシを退却させ、続く8発が8人いた土蜘蛛の大将を射抜いた。
その矢が槻の木に姿を変えたので、この地を八槻と呼ぶようになったと。

だがパンフによれば、神社には若干ディテールの異なる伝承が伝わるそうだ。

いわく、八槻は「矢が槻」に変わったからではなく、「矢が着いた」からそう名付けられた。また、ヤマトタケルの尊が交戦したのは土蜘蛛ではなく、エミシの頭領とある。
ちなみに都々古別神社を創建したのは、他でもないヤマトタケルの尊だと。
都々古別神社(八槻)の御朱印

すてき

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