はちまんぐう
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
八幡宮の編集履歴
2022年08月09日 22時29分
ご由緒
皮籠村旧名葭野宿と云う八幡神を祀るは、天喜年間(1053〜57)陸奥守源義家朝臣下向の時、八幡大神大幡此処に建て人馬の労を少時休むるに白鳩一双来りて旗上に舞けば、任国に入るの吉端なりと木切草を結て神祭せし給うより土人国司の仁恵を仰ぎ、社殿を建て永に鎮護を祈る。
年経て治承年間(1177〜80)強賊藤沢太郎入、金賣吉次兄弟を害し分散せり。其の包める皮葛籠を捨て置けるに依り皮籠村と云。今猶小金橋小金田金分田の字名は金銀配分せる処ナリト云。吉次の霊魂土人の祟むること在けるにより八幡祠へ合祀し相殿とす吉次の墓に社の隅るにしに石碑あり。馬士墓とて十三墳と云。古碑字石等に寄る口碑に録す。明治五年社列村社。棟札の由緒を写す。
編集前:皮籠村旧名葭野宿と云う八幡神を祀るは、天喜年間(1053〜57)陸奥守源義家朝臣下向の時、八幡大神大幡此処に建て人馬の労を少時休むるに白鳩一双来りて旗上に舞けば、任国に入るの吉端なりと木切草を結て神祭せし給うより土人国司の仁恵を仰ぎ、社殿を建て永に鎮護を祈る。
年経て治承年間(1177〜80)強賊藤沢太郎入、金賣吉次兄弟を害し分散せり。其の包める皮葛籠を捨て置けるに依り皮籠村と云。今猶小金橋小金田金分田の字名は金銀配分せる処ナリト云。吉次の霊魂土人の祟むること在けるにより八幡祠へ合祀し相殿とす吉次の墓に社の隅るにしに石碑あり。馬士墓とて十三墳と云。古碑字石等に寄る口碑に録す。明治五年社列村社。棟札の由緒を写す。
ご祭神/ご本尊
≪主≫八幡神,金売吉次兄弟
編集前:八幡神
ログインすると情報を追加/編集できます。