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2026年05月14日(木) 13時15分 byyonetti50

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ご由緒
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日本三所之一 福満虚空藏菩薩の由来

 当山「柳津虚空藏尊絵巻縁起」天正十二年(1584)によると、今から凡そ千二百年有余年の昔、大同二年(807年)法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられる。当山御本尊福満虚空藏菩薩は、弘法大師の御作と伝えられ、日本三所の随一として霊験の顕著なこと他に比なしと云われている。遠く延暦二十三年(804)弘法大師は三十一才にして唐に渡り、青龍寺慧可阿闍梨に謁し修行を積まれ帰国に際し、三鈷と霊木を伝授された。途中、日本に於ける仏法興隆有縁の霊地を求めんと祈祷せられ、三鈷と霊木を海に投ぜられた。三鈷は不思議にも紀伊国(和歌山)に流れ着き、真言宗総本山高野山金剛峯寺が建立された。霊木は、少し遅れて紀伊国那智之浦に漂着し、帰国後の巡錫中、それを見つけられた大師は、霊木を三断し再度海に投ぜられた。後日、元木は、安房国天津浦に流れ着き、その霊木で刻まれたのが、能満虚空藏菩薩である。中の木は、常陸国村松に至り、大満虚空藏菩薩が刻まれた。末木は、越後の海より只見川を溯り柳津に至った。土地の漁翁が、これを拾い上げ斧で切ろうとしたところ突然大音響を発したので漁翁は驚き、その木を割るのをやめた。その夜、夢に白髪の老人が現われ「その流木は天竺よりの霊木なり、大師巡錫ある時はそれを捧ぐべし」と告げた。その頃大師は、磐城・岩代・会津を巡錫されており、只見川沿いを歩かれていた時、漁翁の話しを耳にされ、霊木とめぐり逢󠄀った。大師は非常に喜び、大慈大悲の願いをこめて、尊像を刻まれた。これが、福満虚空藏菩薩であると伝えられる。

能満虚空藏菩薩 千光山 清澄寺 (千葉県鴨川市清澄)
大満虚空藏菩薩 村松山 日髙寺 (茨城県那珂郡東海村)
福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺 (福島県河沼郡柳津町)

以上が、日本三所の虚空藏菩薩といわれる大略である。
トイレ
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境内内にあります
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境内通路中程にあります
院号
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圓蔵寺