はぐろじんじゃ
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羽黒神社ではいただけません
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羽黒神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月31日(木)
参拝:2023年4月吉日
福島県福島市大明神に鎮座している羽黒神社、以前参拝致しました、福島県護国神社から1台通るのがやっとの道を車で登り、3台位止まれる狭い駐車場が在ります、参道は道と言う道は無く荒れ果てた参道を登ります、創建は不詳ですが伝承によると欽明天皇の代に王位継承の内乱が起こり后である石姫命が皇子 渟中太命を伴いこの地に逃れてきました。2人共この地で亡くなった事から石姫命を黒沼大神、渟中太命を羽黒神として後世まで祀ったと伝えられています。
羽黒神社は古くから信仰された信夫三山の1つ羽黒山(標高:268m)に鎮座し、中世に入ると神仏混合となり信夫山は修験僧の修験の場として発展したそうで参道には寺院建築の要素である仁王門の跡があります。
特に社号や信夫三山の3つの峰の称号からも出羽三山修験の影響を大きく受けたようで、羽山には湯殿神社、羽黒山には羽黒神社、熊野山には月山神社がそれぞれ鎮座しています。出羽三山(山形県鶴岡市)の場合は湯殿山に湯殿山神社、月山に月山神社、羽山は湯殿山が出羽三山に数えられる前の三山で羽山神社が鎮座しています。羽黒神社は歴史代領主からも崇敬の対象となり伊達政宗が仙台城(宮城県仙台市)に移った時城下町に分霊を勧請し新たに羽黒神社を建立しました。古くから神仏習合していた歴史が有りましたが、現在は麓にある黒沼神社の摂社となり昭和51年(1976)に弘化2年(1845)に建てられた社殿(旧社殿の4隅の彫刻が福島市指定文化財に指定されていた。)が焼失し新しくコンクリート造で建て替えられています。
羽黒神社拝殿は鉄筋コンクリート造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、正面3間向拝付き。本殿は流造、銅板葺き。仁王門にあった大草鞋は「信夫三山暁参りの大わらじ奉納」という形に変え引き継がれています。古びれた石段や参道沿いにある数多くの石碑など古社の雰囲気が色濃く残されています。御朱印は貰える日が少なく元旦と毎年2月に開催される暁参りの時だけです。
御祭神は渟中太命
歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、参拝、散策、山登り、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
羽黒神社は古くから信仰された信夫三山の1つ羽黒山(標高:268m)に鎮座し、中世に入ると神仏混合となり信夫山は修験僧の修験の場として発展したそうで参道には寺院建築の要素である仁王門の跡があります。
特に社号や信夫三山の3つの峰の称号からも出羽三山修験の影響を大きく受けたようで、羽山には湯殿神社、羽黒山には羽黒神社、熊野山には月山神社がそれぞれ鎮座しています。出羽三山(山形県鶴岡市)の場合は湯殿山に湯殿山神社、月山に月山神社、羽山は湯殿山が出羽三山に数えられる前の三山で羽山神社が鎮座しています。羽黒神社は歴史代領主からも崇敬の対象となり伊達政宗が仙台城(宮城県仙台市)に移った時城下町に分霊を勧請し新たに羽黒神社を建立しました。古くから神仏習合していた歴史が有りましたが、現在は麓にある黒沼神社の摂社となり昭和51年(1976)に弘化2年(1845)に建てられた社殿(旧社殿の4隅の彫刻が福島市指定文化財に指定されていた。)が焼失し新しくコンクリート造で建て替えられています。
羽黒神社拝殿は鉄筋コンクリート造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、正面3間向拝付き。本殿は流造、銅板葺き。仁王門にあった大草鞋は「信夫三山暁参りの大わらじ奉納」という形に変え引き継がれています。古びれた石段や参道沿いにある数多くの石碑など古社の雰囲気が色濃く残されています。御朱印は貰える日が少なく元旦と毎年2月に開催される暁参りの時だけです。
御祭神は渟中太命
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