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普門院(文知摺観音 安洞院)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月23日(水)
参拝:2023年9月吉日
福島県福島市に境内を、構える、普門院 文知摺観音、小倉百人一首の歌枕の地で、松尾芭蕉、正岡子規などの文人墨客が多数訪れた場所。全域が福島市の文化財に指定され、日本最北端に在る、多宝塔は福島県の重要文化財指定。資料館「伝光閣」には美術資料とともに古文書や歴史資料が展示されてます、2023.に奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、信達三十三観音霊場巡礼で参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べてみました、現在、文知摺観音は普門院となりましたが元々は香澤山 安洞院、1595年(文禄4年)に文知摺観音堂の別当寺として建立された、信夫山山裾に鎮座する曹洞宗の古刹寺院でした、山号は香澤山、寺号、院号は安洞院、宗派は曹洞宗、ご本尊は聖観世音菩薩、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第二十九番札所、信達三十三観音霊場、第二番札所、安洞院は香澤山 安洞院と称し、文禄4年(1595)2月、福島市小田、位作山陽林寺第六世玉峯芳積大和尚により開山された曹洞宗寺院です。本寺・陽林寺は戦国の武将伊達政宗の曽祖父稙宗公の開基になる古刹ですが、その系譜は静岡県森町の雲林寺、同町の大洞院、更には大本山總持寺、大本山 永平寺に連なっています。当山の開基は度重なる火災により不詳です。しかし、寺に伝わる開基位牌には、香澤院殿成案現公大居士と識されており、戒名から思量すると戦国の武将であったものと思われます。開山以来、三世代元禄14年(1701)および十一世代万延元年(1860)の二度、火災により全山を焼失、文久2年(1862)、中興圓山玄明代に復興するも本堂の再建はなされませんでした。昭和53年12月、十五代玄邦代に至り、118年ぶりに悲願であった本堂、翌年に位牌堂が建立されました。以後、十六世俊邦代に至り、開山堂、庫院、会館、事務所、管理棟、総門等の諸堂宇が完備され、併せ1600区画(当時)のしのぶ霊園の開発も進められました。平成6年10月1日、管長梅田信隆禅師を特請、因脈会、開山400周年記念の大法要が厳修され、山門「千松関」が建立されています。安洞院は開山以来、史跡文知摺観音の別当職を務め、三世漢補和尚は、水月庵中興の祖とされる大了是道庵主と計り、観音堂、水月庵を1万人の浄財を以って、宝永6年(1709)再建、四世恵禅和尚は享保13年(1728)鐘楼堂(後、昭和19年軍に供出)を建立、八世光隆和尚は名工、藤原右源次義高をして、現在重要文化財指定の多宝塔を文化9年(1812)に建立させています。文知摺観音は平成28年10月に新寺・普門院として新たな法人格を取得し、独立した宗教法人になりました。安洞院16世俊邦和尚が開山となり、拝観料制度を廃止し誰もが自由に散策できる史跡として新たな歴史を歩んでいます
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