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本佛寺ではいただけません
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ほんぶつじ|日蓮宗鎮西身延山

本佛寺
福岡県 うきは駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

多数あり

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超第六天魔王ニキ
超第六天魔王ニキ
2021年04月15日(木)
437投稿

今年初めての本佛寺。
今日は駐車場にいっぱい車が止まっており、仁王門の周りでは仏器やお菓子、饅頭等々の物販をしておりました。そんな中、広い境内を回ってきました。
いつも足が悲鳴を上げるのですが、何故か本佛寺は大丈夫なんですよ。
お釈迦様、日蓮聖人、永遠様、鬼子母神、清正公、妙見様にご挨拶。
帰りに寺務所にて、お札を購入したら、お餅とお守りをご接待頂きました。
ありがとうございました。
また、お伺いします。

本佛寺の建物その他
本佛寺の建物その他
本佛寺の建物その他
本佛寺の本殿
本佛寺の建物その他
本佛寺の建物その他

御真骨堂の拝殿内

本佛寺の建物その他

仏舎利塔が見えてきました。

本佛寺の建物その他

仏舎利塔の拝殿

本佛寺の景色

仏舎利塔からうきは市から杷木の町が一望出来ます。

本佛寺の手水

これが噂のスーパー○リオのパック○フラワー❗️
なかなかのクオリティです。(笑)

本佛寺の建物その他

永遠大明王のおられるお堂ですが、人がおられましたので、遠くからの撮影です。

本佛寺の建物その他
本佛寺のお守り

お守りを頂きました。

本佛寺の授与品その他

お餅を頂きました。

本佛寺の授与品その他
本佛寺の授与品その他

おしゃれな紙袋です。
何処かのパン屋みたい。

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行事

  正月 三が日・ 年頭祈願祭
  正月  八日・ 福寿大黒祭
  正月 十六日・ 寒修行
  二月第一日曜・ 役員新年会
  二月  三日・ 節分会
  二月 十五日・ 國祷会
  三月彼岸中日・ 先祖祭り
  三月二十四日・ 寺檀合同境内清掃
  四月  八日・ 仏舎利塔開扉法要
  四月 十四日・ 永遠大明王大祭・永遠様余興
  五月 十五日・ 釈尊降誕会
  六月 初旬日・ 宮城会追悼法要
  七月  八日・ 大先祖供養祭
  七月二十三日・ 清正公大祭
  七月 下旬日・ 林間学校
  八月 十五日・ 盂蘭盆大法要
  九月  七日・ 日菅忌
  九月 十五日・ 纏奉納式
  九月彼岸結日・ 川施餓鬼法要
  十月 初旬日・ 総代世話人総会
  十月  五日・ 龍口法難会
  十月 十四日・ 御会式 (動画)
  十一月二八日・ 日修忌
  十二月大晦日・ 除夜の鐘

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歴史

 「鎮西身延山本佛寺」これがこの寺の正式名称である。

 動乱の幕末から維新した明治当初、旧来の国政が根本的に変更されたことは周知の如くである。当然仏教界にも激震は走った。明治三年一月三日に出された詔書「大教宣布」での神道国教、祭政一致の政策により、仏教施設の破壊いわゆる廃仏毀釈(廃仏運動)と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。これは神仏習合の廃止、神体に仏像の使用を禁止、神社から仏教的要素の払拭、更には仏像・仏具の取り壊し、仏事の禁止、民間への神道強制などを急激に実施した為の大混乱であった。多くの寺院が焼失し仏像が消えた。この混乱を防ぐべく立ち上がったのが、諸宗同徳会盟(現在の日本仏教会)という宗派を越えた組織である。法華宗系を代表して参画し、頭角を表したのが新居日薩和上という傑僧であった。和上は次第に指導力を発揮し、明治七年三月 身延山久遠寺住職、翌月には日蓮系一致派初代管長となる。明治八年、法華系の派を綜合し「日蓮宗」と改名、明治政府より宗名が定められた。

 同時に九州に檀林(僧侶育成学校)を創設する計画を企て、ここ浮羽の地に「鎮西栴檀林」を開基した。これが当山の発祥である。すなわち当地は、明治政府への提出の一端を担った九州の日蓮宗学校設立の地なのである。これにならい他教団も政府へ申請。いわゆる現在の宗派が確立していった。

 明治十二年、日薩和上から任を承けた中洲日振上人(中教院教師)が当地に入る。上人は日蓮系皆無なこの地で、講義と法華経布教を始動、現在の大本堂建築に挑む。もとより目的は「衆生救済」であり、混乱した時勢での苦しみ病む人々への依拠の開発である。されど使命は、「九州に於ける法華信仰の中心的霊場創設」であるため常に追われる日常であったと推察出来る。しかしながら人格・教養・信心何れにも秀でた上人への帰依者は後を絶たず、次第に信徒は増し、僅か一年で五十軒を越える檀徒が結していく。そんな中、宗祖入滅六百年を期し、御真骨(日蓮聖人のお骨)は身延山(山梨)を大行列で出発し九州へ上陸。上人はいよいよ心中と課せられた重大な任務を信徒に明かし、本殿(大本堂)建設に入る。今にしても本殿は大伽藍。信徒等をしての苦心惨憺の末が偲ばれる。四年の歳月を得ての明治十七年三月当山は開堂した。これが本佛寺の開山日といえる。
日蓮聖人の御真骨分安聖地、中教院鎮西栴檀林(学校)と輝かしい肩書きを携え、産声を上げた本佛寺ではあるが、決して未来は約束されてはいなかった。日振上人は任を終え親友であった佐野前励上人に当山を継承。明治二十三年、英傑と謳われた前励上人が東京から入山するやいなや活動力を持しての山林開拓に着手、境内の整備に尽力し、教学に長けた能力を存分に発揮した布教を展開。守護神を勧請(永遠大明王)し、一万坪にまで拡張した境内には人が溢れるようになっていった。また師弟教育にも尽瘁する上人には門を叩く修行僧も多く、本佛寺弟子一門を形成していく。現在の鎮西門修行僧の連合化や後継第六世住職があった史実が功としてあがる。一方、外にあっても門下を持ち、その証が博多に聳える日蓮聖人銅像と亀山上皇銅像建立といえる。日蓮教学信仰による友人知人、これらを先導しての銅像建立は内務省までをも動かし、福岡県知事と共に進めた宗教的戦略は、明治の偉業として今も知る人ぞ知る所である。その後、国が世襲制を認めた為、当寺は前励上人以来佐野家により継承、三万二千坪に拡張された境内に十一の堂宇を構え、多くの檀信徒によって支えられ今を生きている。                       合掌 第九世 日遠

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7
名称本佛寺
読み方ほんぶつじ
通称にしみのぶ
参拝にかかる時間

1時間以上

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0943-75-2479
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.ne.jp/asahi/nichiren/nishiminobu/
お守りあり
SNS

詳細情報

ご本尊釈迦牟尼如來、多寶如來、題目寶塔の三寶尊
日蓮聖人座像(静岡県蓮永寺より遷座)
そして宗祖日蓮聖人が顕した大曼荼羅
山号鎮西身延山
宗旨・宗派日蓮宗
ご由緒

 「鎮西身延山本佛寺」これがこの寺の正式名称である。

 動乱の幕末から維新した明治当初、旧来の国政が根本的に変更されたことは周知の如くである。当然仏教界にも激震は走った。明治三年一月三日に出された詔書「大教宣布」での神道国教、祭政一致の政策により、仏教施設の破壊いわゆる廃仏毀釈(廃仏運動)と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。これは神仏習合の廃止、神体に仏像の使用を禁止、神社から仏教的要素の払拭、更には仏像・仏具の取り壊し、仏事の禁止、民間への神道強制などを急激に実施した為の大混乱であった。多くの寺院が焼失し仏像が消えた。この混乱を防ぐべく立ち上がったのが、諸宗同徳会盟(現在の日本仏教会)という宗派を越えた組織である。法華宗系を代表して参画し、頭角を表したのが新居日薩和上という傑僧であった。和上は次第に指導力を発揮し、明治七年三月 身延山久遠寺住職、翌月には日蓮系一致派初代管長となる。明治八年、法華系の派を綜合し「日蓮宗」と改名、明治政府より宗名が定められた。

 同時に九州に檀林(僧侶育成学校)を創設する計画を企て、ここ浮羽の地に「鎮西栴檀林」を開基した。これが当山の発祥である。すなわち当地は、明治政府への提出の一端を担った九州の日蓮宗学校設立の地なのである。これにならい他教団も政府へ申請。いわゆる現在の宗派が確立していった。

 明治十二年、日薩和上から任を承けた中洲日振上人(中教院教師)が当地に入る。上人は日蓮系皆無なこの地で、講義と法華経布教を始動、現在の大本堂建築に挑む。もとより目的は「衆生救済」であり、混乱した時勢での苦しみ病む人々への依拠の開発である。されど使命は、「九州に於ける法華信仰の中心的霊場創設」であるため常に追われる日常であったと推察出来る。しかしながら人格・教養・信心何れにも秀でた上人への帰依者は後を絶たず、次第に信徒は増し、僅か一年で五十軒を越える檀徒が結していく。そんな中、宗祖入滅六百年を期し、御真骨(日蓮聖人のお骨)は身延山(山梨)を大行列で出発し九州へ上陸。上人はいよいよ心中と課せられた重大な任務を信徒に明かし、本殿(大本堂)建設に入る。今にしても本殿は大伽藍。信徒等をしての苦心惨憺の末が偲ばれる。四年の歳月を得ての明治十七年三月当山は開堂した。これが本佛寺の開山日といえる。
日蓮聖人の御真骨分安聖地、中教院鎮西栴檀林(学校)と輝かしい肩書きを携え、産声を上げた本佛寺ではあるが、決して未来は約束されてはいなかった。日振上人は任を終え親友であった佐野前励上人に当山を継承。明治二十三年、英傑と謳われた前励上人が東京から入山するやいなや活動力を持しての山林開拓に着手、境内の整備に尽力し、教学に長けた能力を存分に発揮した布教を展開。守護神を勧請(永遠大明王)し、一万坪にまで拡張した境内には人が溢れるようになっていった。また師弟教育にも尽瘁する上人には門を叩く修行僧も多く、本佛寺弟子一門を形成していく。現在の鎮西門修行僧の連合化や後継第六世住職があった史実が功としてあがる。一方、外にあっても門下を持ち、その証が博多に聳える日蓮聖人銅像と亀山上皇銅像建立といえる。日蓮教学信仰による友人知人、これらを先導しての銅像建立は内務省までをも動かし、福岡県知事と共に進めた宗教的戦略は、明治の偉業として今も知る人ぞ知る所である。その後、国が世襲制を認めた為、当寺は前励上人以来佐野家により継承、三万二千坪に拡張された境内に十一の堂宇を構え、多くの檀信徒によって支えられ今を生きている。                       合掌 第九世 日遠

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