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2024年03月05日(火) 21時49分 by第六天魔王
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あみだじ
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現存する最も古い資料によると、天正12年(1584年)正親町天皇の世に現久留米市草野町にあり、当時は極楽山誓願寺という名前だったようです。 ある時、国内に大病が流行し多くの庶民がその病に罹り苦しみました。 この状況に胸を痛めた草野城主は、密かに誓願寺に籠り、僧侶と共に一心に本尊阿弥陀如来に祈願したところ、庶民の病は忽ちに癒えました。 城主は多いに悦び、それ以降は誓願寺を草野氏の祈願寺としました。 草野氏の加護を受けた誓願寺は境内廣深にして、堂于も美しく日夜参詣者が絶えず、多いに栄えました。 しかしながら、九州兵乱で龍造寺氏に攻め込まれた折、堂于は悉く焼き払われ草むらとなってしまいました・・・ ある日、一人の老婆が寺の焼け跡を歩いていると、古い梅の木の梢が何やら黄色い雲に覆われているのを見つけました。 近づいて見てみると、頂に宝冠を現し百宝の蓮華に乗った阿弥陀如来像でした。 一目で誓願寺のご本尊であることを覚った老婆は、沐浴再拝して尊堂を建てて安置しました。 村人達も多いに悦び、皆が香華を手向ける処となっていましたが、ある日突然、筑前下座郡烏木村の桜の木に飛び移られました。 この村でも同様に村人達は多いに悦び、尊堂を建てて安置しました。 これ以降、この尊像は『飛阿弥陀』と称されるようになりました。 従来の病気平癒に加えて、様々な心願成就の霊験は地元に繁栄をもたらし、広く近隣羨望の的となっていきました。 飛阿弥陀の霊験、地元の繁栄が広く近隣に知られるようになってからは、各地で飛阿弥陀の誘致運動が展開され、その結果、飛阿弥陀は各地の堂于を転々とすることとなります。 大正初期には、田主丸町にて誘致熱が高まり、町民一丸となっての積極的な運動が効を奏し現在地に永久的に遷座することとなりました。 その後は、田主丸町内を始め朝倉、八女、久留米、日田など近隣各地より飛阿弥陀の霊光を慕いて参詣者が集まりました。 現在でも、“病を飛ばす” “無事に辿り着く” “落ちない”ということで、飛阿弥陀に因んだ病気平癒、金神方除け、旅行安全、合格祈願などのお参りがされています。 加えて、子供の成長祈願、交通安全など様々な祈願のお参りで多くの人が訪れ、町の祈願寺として広く信仰を集めています。 〜ホームページより〜
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飛び阿弥陀如来
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https://tobiamida.jp/
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true
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来迎山
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天正12年
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1月16日 初縁日厄除け星祭護摩供 3月下旬 春季大祭 子護り祈願・採燈大護摩供火渡り法要 8月16日 盆会大祭 流灌頂精霊灯籠流し 毎月16日 月例護摩祈願