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とくりきじんぐう(しんりきょうほんいん)

徳力神宮(神理教本院)の御由緒・歴史
福岡県 徳力嵐山口駅

ご祭神天之御中主神
高皇産霊神
神皇産霊神
宇摩志阿斯訶備比古遅神
天之常立神
国之常立神
豊雲野神
宇比地邇神
須比智邇神
角杙神
活杙神
大戸之智神
大戸乃辨神
面足神
稜惶根神
伊邪那岐神
伊邪那美神
天照大神
ご神体不詳
創建時代明治十七年(1884年)
創始者佐野経彦(巫部恒彦)
ご由緒

〇徳力神宮の由来
この徳力の神社がある「徳力」の地名は、1600年以上も前からの歴史を有しています。西暦391年、仲哀天皇の后の神功皇后が朝鮮半島へ出兵する際に、ここから西へ7kmほどの先の皿倉山の山頂から北の朝鮮半島を眺め戦略を練りました。
その先勝祈願の祭場として選ばれたのが「徳力」でした。木造軍船の木が豊富に採れ、近くの紫川は木を運ぶ良好な川であったからです。このためここは「採利木(とりき)」という地名になり、やがて縁起の良い現在の「徳力」の名に変わりました。
神功皇后が先勝祈願をした場所は、ここの本殿から南に500メートルほど離れた大嘗山で、現在緑樹が生い茂る大鍋山です。随行した物部氏一族後の巫部家の9代瞻咋宿祢命は、祈願の補佐をし、水の湧き出すこの地に特別な力があることを知り、これを伝えてきました。
西暦430年頃、巫部家12代伊美岐連命が17代履中天皇の疫病根治の命を受け、諸国を巡り、巫部家に伝わる日本古来の医学と祈りによって病を鎮めることができたとのことです。それ以来、この徳力の地に居を定め、代を重ねて祭事を受け継ぎ、子孫へと伝えてきました。
この境内で汲み上げる水は、無菌でミネラルが豊富な硬水として、1600年もの歴史のあるこの場所に絶えることなく流れています。春と秋の彼岸には、神功皇后が登った皿倉山に沈む夕日が100メートルの参道に''日願の道''を映し出します。
このような永い歴史に鑑み、この「徳力の神社」を「徳力神宮」と命名することになりました。
令和5年9月 第81代管長 巫部祐彦[境内由緒書きより]

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