戸上山
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満隆寺の編集履歴
2021年11月14日 21時14分
ご由緒
弘法大師が平城天皇の大同元年(806)、唐より帰朝の折、関門海峡をご通過。船中より戸ノ上山を仰ぎ当地に下船してこの霊峰に登り密法を修め、山麓に一宇を建立し、随身供養の観音像を安置されたのが満隆寺の起源であります。
中世戦乱の世に、大友宗麟の武将が門司城を攻めるにあたって当地に乱入した際、その兵火に罹り山上山下の堂宇・僧坊は悉く焼失しましたが、慶長年間(1596-1615)僧快周が再建中興しました。 その後、修験道に属しましたが、明治初年(1868)神仏分離の制度となり、永く続いた神仏混交時代も終わりました。 現今の大師堂はその名残と伝えられております。
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