あんこくじ|天台宗|白馬山
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
安国寺の編集履歴
2022年07月10日 20時51分
ご由緒
暦応2年(1339)足利尊氏が夢窓国師の勧めにより、南北朝の戦いに殉じた戦歿者の霊を弔うため、全国に建立した安国寺・利生塔(一国一寺一塔)の一つである。この制度は、聖武天皇の国分寺を例にとり、利生塔はインドの阿育王が建てた八万四千塔などを範にするという。
当初は、七堂伽藍を構えたが、文安元年(1444)兵火により焼失。文明2年(1470)再建。天正2年(1574)領主秋月種実が仏殿を建立。元和8年(1622)観音堂を再建して、現在に至る。
編集前:暦応2年(1339)足利尊氏が夢窓国師の勧めにより、南北朝の戦いに殉じた戦歿者の霊を弔うため、全国に建立した安国寺・利生塔(一国一寺一塔)の一つである。この制度は、聖武天皇の国分寺を例にとり、利生塔はインドの阿育王が建てた八万四千塔などを範にするという。
当初は、七堂伽藍を構えたが、文安元年(1444)兵火により焼失。文明2年(1470)再建。天正2年(1574)領主秋月種実が仏殿を建立。元和8年(1622)観音堂を再建して、現在に至る。
巡礼
九州四十九院薬師霊場第3番札所
筑前国中三十三観音霊場第27番札所
編集前:九州四十九院薬師霊場第3番
ログインすると情報を追加/編集できます。