へいせんじはくさんじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方平泉寺白山神社のお参りの記録一覧
絞り込み


御祭神 伊邪那美命 天忍穗耳尊 大国主神
一歩踏み込んだら、息を呑む美しさ🤩
圧倒されました😍
御手洗池
717年に泰澄が伊野原の東にある林泉に立ち寄ったところ、女神(白山大神)のお告げで白山に導かれ、この御手洗池で祈ってると、泉の中の影向石(ようごいわ)に女神が出現❣️
二人の行者、淨定行と伏行者を伴って、白山に十泊以上かけて登拝されました。これが白山の開山と伝えられてます。
その山頂で大権現である十一面観音に出会われたとの事🙏✨
水が湧き出る音の中
神秘的な光景✨✨✨
御本社
白山の主峰である御前峰の神・伊弉諾尊
昇り龍と降り龍が唐破風を支える柱に彫刻が施されています。素敵🤩
写真を撮るのは難しいかったです😓
二の鳥居から拝殿
別山社 天忍穂耳尊
越南知社 大己貴尊
境内社
社務所 (旧玄成院)
御朱印置いて下さってます。



平泉寺白山神社の参道横の寺院へ行ったのですから当然こちらも参拝しました。
祭神は、本社に伊奘冊尊(イザナミノミコト)、本社向かって右の別山社に天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)、本社向かって左の越南知社(おおなむちしゃ)に大己貴尊(オオナムチノミコト)(大国主命オオクニヌシノミコト)。
その他多数の社がありますので書ききれません。
平泉寺は、717年に越前の僧・泰澄によって開かれたと伝わり、1084年には比叡山延暦寺の末寺となった。室町時代の最盛期には48社、36堂、6,000坊の坊院が立ち並び、僧兵8,000人を抱える巨大な宗教都市となったという。しかし、1574年の一向一揆により全山焼失、1583年に逃避していた美濃から戻った顕海が、弟子の専海と日海と共に再興した。明治時代に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈で仏堂仏具は破却され、平泉寺の寺号を廃して白山神社に改め現在に至ります。
精進坂を上がり、境内の中に入っていくと厳かな気持ちになります。石段の両脇や木々の間に苔が生えていてとても綺麗です。参道の左側へ少し入ると御手洗(みたらし)池があります。泰澄が白山登拝の途中にこの池を見付け、祈念していると神託によりこの地に社を建てたと伝わります。鳥居の中央に屋根がついている神仏習合時代の独特な造りの「二の鳥居」の辺りから境内の幅がぐっと広がり、木々が聳え、苔の絨毯が広がります。
拝殿の前で手を合わせ、その先の本社へ。(本殿とは呼ばないようです。) 本社の左右に2つの社で、3つの社が並んでいますが、これは白山の峰々を表し、白山最高峰の御前峰が本社(本地仏:十一面観音菩薩)、左側の大汝峰が越南知社(本地仏:阿弥陀如来)、右側の別山が別山社(本地仏:聖観音菩薩)です。
折角なので最奥に在る三の宮へ。社の直ぐ手前左側に楠木正成の墓塔、そして三の宮です。手を合わせて戻ります。ところで、何故この場所に楠木正成の墓塔(供養塔)があるのか?ですが、楠木正成の甥の恵秀律師がこの場所(以前は三の宮の拝殿があった)で行をしていると楠木正成が鎧甲姿で現れた。後にその日に楠木正成が戦死していた事がわかり、供養塔を建てたそうです。
社務所で御朱印を頂き、駐車場に戻りました。
駐車場の前に「白山平泉寺歴史探遊館まほろば」という公共施設がありましたので行きました。史跡平泉寺や白山の歴史や文化に関する事を展示しており、料金は無料です。偶々ですがクリアファイルまで頂いてしまいました。


初めて訪れたのは何十年前になるでしょうか。
あまりの美しい景色、時が止まったかのような静寂な空気感に魅了され、何度となく訪れた場所☘️
暫くぶりになりましたが、平泉寺白山神社は何も変わらず静寂の時を刻んでいました。
前日の雨で苔は生き生きしています。
気持ちが穏やかになるお参りが出来ました☘️🙏
国史跡白山平泉寺旧境内
日本遺産
717年に泰澄大師が霊峰白山を開山したきっかけとなった場所で、開山後も多くの修行僧を迎え入れました。
1084年には比叡山延暦寺の末寺になり、48社、36堂、6000の坊院が立ち並び、僧兵は8000を数えたとされる一大宗教都市だたそうです。
1574年、一向一揆により全山焼失。後に一部再建。
明治に入り、神仏分離令に基づき白山神社と改めました。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

































































