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おおしおはちまんぐう

大塩八幡宮の御由緒・歴史
福井県 武生駅

ご祭神帯中日子天皇
品陀和気天皇
息長帯日売尊
他十七祭神
ご神体不詳
創建時代寛平三年(891年)
創始者紀友仲
ご由緒

 第五十八代光孝天皇御代仁和三年(887)八月三日、紀中納言友仲朝臣が当国国府の南泉島へ流罪になった。無実の罪を歎きながら榊を現在の本殿の地に植え、石清水八幡宮の神を祀り、麓に参籠所を設けて日夜祈願を続けた。宇多天皇の御代寛平元年(889)三月勅許により京都に帰ることができた。このことを喜び神勅を戴いて社殿の造営にかかり同三年(891)八月二十日石清水八幡宮の神霊を勧請し鎮座した。この時勅使を派遣され清原元政を神主職に補せられた。中頃に姓を瓜生と改めたが末裔は連綿とし現在に続いている。鎮座の際王子保の地一帯を神領とした事から大塩保八幡宮と言われた。中古武門の崇敬が篤く鎌倉幕府より田地の寄附があり、足利・朝倉家等の国主も尊崇し田畑山林の寄附や社殿の造営修復を行ない、繁栄を極めたが天正年間(1573~1592)一揆が起き、更に慶長年間(1596~1614)の太閤検地の際に悉く没収され神社は衰微した。その後慶長八年(1603)松平秀康が入国した際社領三十石を寄附し、松平忠直は二十石を加増した。以後代々の松平家は崇敬心あつく社殿の造営修理補を行なってきた。明治四年十月郷社・同七年六月県社・同四十一年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。同四十三年十月十三日国兼の倭建尊を祀る大神下前神社を初め宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社・日吉神社・小白山神社・癒瘡神社・天神社・住吉神社・若宮神社・稲荷神社など王子保地区内の十二社を合祀した。昭和四十六年八月二十八日八幡神社の社名に復した。境内には、式内社に比定される数多くの社があり、神域は荘厳を極め崇敬者も多い。

歴史
歴史[編集] 「社号」の節で見たように、大塩保に勧請された八幡宮で、寛正5年(1464年)の奥書を持つ当神社縁起によれば、仁和3年(887年)、讒言によって越前国の国府に配流された中納言紀友仲が、現社地に榊を植えて石清水の八幡神に帰洛を祈願したところ、寛平元年(889年)に勅許を得て京都へ戻ることができたため、同3年(891年)に社殿を造営して石清水八幡宮の神霊を勧請したのが当社の創祀であり、鎮座の際に旧南条郡の大塩保の鎮守として一帯を神領としたことから、郡内の「二宮」と称されたという。寿永2年(1183年)に木曾義仲が境内に本陣を築いて滞在し、鎌倉幕府からは田地を寄進され、建武年間(1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報大塩八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%A1%A9%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=99696369

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