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つるぎじんじゃ

劒神社の御由緒・歴史
福井県 鯖江駅

ご祭神《主祭神》
天利劔神(あめのとつるぎのかみ)
《配祀神》
経津主神(ふつぬしのかみ)
《相殿神》
天思兼命(あめのおもいかねのみこと)
創建時代不詳
ご由緒

神社神名帳に正五位天利劔神とあり、往昔高貴の方此の地に在留せられ祭神を勧請、社殿を建立。
其の後当郡大領主生江臣氏緒(新撰姓氏録に孝元天皇の皇子彦太忍信命の後胤にて石川臣と同祖武内宿称の後裔)大いに崇敬し、社殿を補修、神宝を納め神地を広め、神田を増やしたので、社は荘厳、社頭は愈々隆盛を極めたと言う。
往昔この地一帯を「新江の庄」と称える一大荘園であった。
「新江の庄」は後に下新庄・中新庄.上新庄の三村に分かれ、又下新庄村より新村を出し新横江村、そして鯖江市へ、上新庄村は三ツ屋・長尾・戸谷の各村に分れて新庄村に、後、中新庄村と共に武生市へ編入す。
延元、応仁、天正と幾多の戦火干文相継ぎ当社及び部落も亦屡々、兵火災禍に遭遇し、旧記をも焼失す。
古老は「新庄村(下新庄町)の北の方砂畑(新町)に夜毎霊光を放ち人怪しみ恐れて近づく者なし漸く之を検すれば一振りの神剣なり。人々之を恐れ畏みて当社に蔵む」と今に伝える。
境内に三つの神の塚があったが(1867)明治2年その2ケ所を石工某等が発掘した。
四辺石で囲まれた石窟中に石剣嚢器等が出て来たと伝えられる。
明治9年敦賀県に於て村社に列せられ更に明治34年12月18日福井県に於いて郷社に列せられた。

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