きっぽうじ|曹洞宗
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楽しみ方吉峰寺のお参りの記録一覧

【老梅山(ろうばいさん)吉峰寺(きっぽうじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:曹洞宗
開基:泰澄大師
吉峰寺は、永平寺の東約6km、福井県吉田郡永平寺町吉峰に位置します。道元(1200-1253)が1243年(寛元1)年、波多野 義重(はたの よししげ)に招聘され越前に入って禅の修行を行った寺。永平寺が完成するまで滞在し、日本曹洞宗の根本経典である『正法眼蔵』の20巻までは、当寺で執筆されたといわれます。道元が離れた後、荒廃していましたが、明治末年に田中仏心(1867-1914)により再興されました。
道元禅師が永平寺に入る前、修行されたという吉峰寺を訪ねました。そこにはやさしい雲水さんがいらっしゃいました。3ヶ月間、数名でこのお寺で修行されるそうです。

【徹通坂 入口】
徹通(てっつう)(1219–1309)という名の僧侶は、1日2回、村まで往復しました。 炊事、掃除、入浴などの日常的な作業を心からこなすことは、古くから、曹洞宗では重要なことでした。徹通(てっつう)にとって、山の往復は日常の修行の一つに過ぎなかったのです。 村人たちは彼の献身に驚き、山道を「徹通坂(てっつうざか)」と呼び始めました。約900メートルの険しい山道には、慈悲の菩薩である観世音菩薩のさまざまな姿を描いた33体の石像が並んでいます。 徹通は永平寺の第3代住職を務めました。



【徹通坂】

【境内】

【徹通観音】

【法堂】


【法堂 扁額】

【法堂から振り返って見る】

【木版】
案内にあるように木版を3打しました。参拝希望を伝えると若い修行僧(雲水)さんが、にこやかに堂内の扉を開放してくれました。

【法堂 入口】






【法堂から見る境内】



【開山堂】

【開山堂 入口】

【開山堂 梵鐘】

【坐禅座布団】

【連絡通路】
ぴかぴかです。

【法堂・庫裡】

【開山堂】

【開山堂・徹通観音】

永平寺町吉峰(よしみね)にある吉峰寺(きっぽうじ)へ。
創建は泰澄大師、曹洞宗の開祖道元禅師が永平寺に入る前に一年間修行した寺院です。
麓の駐車場からの山道歩きと、普通車のみ林道経由でお寺近くの駐車場に到る二つのルートがありますが、徒歩15分の歩きを選択🚶
つづら折りの山道は、典座(禅寺の食を司る僧)徹通和尚が麓の川まで水を汲みに往復したとされ、「徹通坂」と呼ばれてます。
心臓破りの坂ではないものの、なにぶん山の中なので熊避けの鈴があるほうが安心かも🐻
無事(!)庫裡に到着し御朱印を申し込み。
法堂、観音堂、開山堂を中から拝観できました。
御朱印は通常のものを御朱印帳に。
釈迦三十二禅刹の禅語「慕古風」はファイル用にいただきました。












午後から仕事でしたので、雑念を落とそうと思い、伺いました。
開基は泰澄大師。道元禅師が最初の越前道場としてに入山したお寺です🙏🏻
麓には「道元禅師祖跡コース第一関登口」と書かれた看板があり、吉峰寺まで山道が繋がっています。寺院までは車でも行けましたが細い道路です🙂
静かで苔むす不思議な空間を感じられる寺院でした🙏🏻
山の寺社は個人的には大好きです🙂🙏🏻🙏🏻

案内板です🙂


池があります

苔むす石段が素敵でした🙂

!!😮ここは空気が全然違う😮
しばらく固まってしまいました🙏🏻🙏🏻🙏🏻

素晴らしい景観でした。不思議と心が洗われました😊🙏🏻


圧巻の景観です😮

法堂です。
お昼のお勤めが終わったタイミングでしたので、拝ませて頂きました🙏🏻
上がらせて頂き、堂内で正座をし雑念を捨ててから仕事に向かいました🙂🙏🏻

法堂からの見下ろしです

観音堂へ🙏🏻

開山堂🙏🏻

開山堂からの庫裡です。

寺院からの山道下り入口です🙏🏻
次回は山道を登りたいです🙂

通常御朱印です🙏🏻

慕古風御朱印です。道元禅師の教えですね🙏🏻

【道元が修行した曹洞宗のお寺】
永平寺を開いた道元が仏道の根源を説いたのが『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)。この名前は高校の時に覚えた記憶があります。1231年から1253年まで生涯をかけて著した95巻に及ぶ仏教思想書です。
道元禅師が永平寺を開く前、一年間吉峰寺に滞在し、ここでその3分の1を著したそうです。
えちぜん鉄道竹原駅からたどり着きました。
訪問者が、わたし以外だれもいなかったです。御朱印は貰いませんでした。


ここから歩いて15分くらいです。駐車場あり。


車でここまで登ることもできます。

あまりにひっそりしていたので御朱印は戴きませんでした。


#吉峰寺
法堂に大権修理(だいげんしゅり)菩薩を祀る。
写真の御朱印の中央の墨書きに相当する部分に、「招宝大菩薩」とある。これを受ける時に口頭で聞いた話によると、大権修理菩薩のこと。
道元禅師が中国から帰国する際、海が荒れたが、禅師の乗る船が沈まないよう守護したらしい。永平寺の山門付近にいる、一葉観音についても同様の言い伝えがある。
大権修理菩薩の像は額に手をかざして遠くを見やるポーズをとるが、これは海や空の様子を見張っているためだそうだ。
#大権修理菩薩 #招宝大菩薩 #招宝七郎
禅学大辞典によれば別名、招宝七郎。中国の寧波にそびえる、七郎山という山に住むことに由来する名前だそうだ。寧波には阿育王寺という寺もあって、そこに仏舎利が納められている。禅学大辞典は、大権修理菩薩はこの仏舎利を守るために中国へ渡ったとも、元から阿育王山の護法善神だったとも記す。
ともあれ、彼は恐らくインドではなく中国にルーツを持つ神様で、ボサツと号するものの、どちらかというと天部に分類されるべき方のようだ。
ちなみに曹洞宗に特徴的な尊格としてはもう1尊、跋陀婆羅(ばっだばら)菩薩という方がいる。こちらは大仏頂万首楞厳経という経典に登場し、梵語でバドラパーラというらしい。僕は会った記憶がない。

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