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2020年07月05日(日) 10時54分 byささ
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西予市宇和町明石201
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西予市宇和町明石201
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本来の名は「あげいしじ」ですが、現在は「めいせきじ」と呼ばれています。土地の古老たちは、この寺を親しみを込めて「あげいしさん」または「あげしさん」と読んでいます。この「あげいし」という名はその昔若くて美しい、女神が願をかけ、深夜に大石を山に運ぶうち、夜明けに驚き消え去ったという話を詠った御詠歌の「軽くあげ石」からついたと伝えられています。8月の縁日には西日本各地から多くの人々が集まり、終日賑わいを見せています。
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明石寺が所在する西予市宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町である。明石寺にもまた奇逸な歴史の縁起が残されている。 まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされている。のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。 弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。 以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。
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千手観世音菩薩
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卯之町駅より (1.7km) 宇和島バス 「宇和高校前」 (1.0km) 42【次の霊場まで】より (自家用車)約30分 約16km (徒歩)約4時間 約11km 44【大宝寺】より (自家用車)約2時間 約78km (徒歩)約20時間 約70km
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7:00~17:00
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境内手前左側 20台(無料)※大型バス/中型バス1000円・マイクロバス500円
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源光山(げんこうざん)
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円手院(えんじゅいん)
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六世紀前半
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円手院正澄
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四国八十八箇所第43番 南予七福神霊場第5番(布袋尊)
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伊予遍路道 大宝寺道、伊予遍路道 明石寺境内(国の史跡) 仁王門、本堂、大師堂、地蔵堂、鐘楼堂、客殿、手水舎、石段および石垣(仁王門前)、石段および塀(本堂前)(国の登録有形文化財) 絹本著色熊野曼荼羅図 1幅(愛媛県指定有形文化財) 檜皮(ひわだ) 西予市明石寺ヒノキ材(ふるさと文化財の森)