いくさがもりじんじゃ
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藤原秀郷の六世須藤助六が当地に来たり、石清水八幡宮を勧請し、その後、忠光が地頭となり岸城を築き、岸姓を名乗り鎮守社としたという。 正平年間河野、足利の久米原の戦に、戦死者を此の森に埋めたことにより森を軍ヶ森と称えた。天正年中岸の子孫崇左衛門が社殿を建立して軍ヶ森八幡宮と称えたが、いつしか軍ヶ森神社とし、氏神として村民の尊敬篤かったが、天正後期に荒廃し、火災にかかり総て焼失したという。
10月 7日 例祭
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