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たまさきじんじゃ

玉崎神社の編集履歴
2020年11月11日(水)
千葉県 倉橋駅

さささんのプロフィール画像
ささ
2020年11月11日 15時03分

緯度

35.697595835963455

編集前:35.6972243

経度

140.72660668989423

編集前:140.7272771

ふりがな

たまさきじんじゃ

郵便番号

289-2705

住所

旭市飯岡2126-1

編集前:海上郡飯岡町飯岡2126

ご由緒

玉﨑神社は、景行天皇12年の御創祀と伝えられている。
天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命(オキサキオトタチバナヒメノミコト)が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。
後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。
江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。  

電話番号

0479-57-2278

URL

https://www.tamasakijinja.com/

アクセス

銚子駅・旭駅を発着する千葉交通・銚子駅~旭駅間のバスを利用 バス停「玉﨑神社前」下車 徒歩1分

参拝時間

電話:8:00~16:00

駐車場

敷地内完備

創立

景行天皇12年

文化財

【千葉県指定有形文化財】拝殿、本殿

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