しょうせんじ|曹洞宗|大龍山
正泉寺のお参りの記録一覧
曹洞宗大龍山正泉寺にお参りしました。
女性が成仏できる血盆経が南側の手賀沼から出現し、お経をおさめた正泉寺が鎌倉幕府北条時頼の娘桐姫(法性尼)により開基、女人救済の寺として栄えたそうです。昔女性は穢れのため成仏できないとされていたので画期的。広く信仰され、紀州徳川家の桂香院が奉納した血盆経等、多数の文物を所蔵し、千葉県指定文化財「正泉寺の血盆経信仰資料」として有形民俗文化財となっています。
我孫子市には女人救済信仰として正泉寺の血盆経信仰と、村の神社で女人講をつくり安産祈願した待道(まちどう)信仰もあり、仏教と民間信仰で女性が救いを求めた信仰が広がっていました。
Googleマップでは入口がわかりにくいお寺です。駅に近い北側に正門、表参道、山門があります。正門は未舗装で車止があり、徒歩参拝者用です。
車は南側から。南側通用門には舗装駐車場があり、東側は裏口と砂利敷き駐車場があります。
檀家寺のようで授与所はなく南側駐車場すぐに墓参桶置き場があり墓地が西側に広がります。本堂の隣に法事ができそうな建物がありました。
大阪四天王寺壹萬體菩薩像、新四国八十八ヶ所相馬霊場第七十三番札所の大師堂、不動明王石碑が二体安置された不動堂があり、血盆経信仰で奉納された仏様の石碑もあります。千葉県に多い出羽三山信仰の石碑5基もあり、月山羽黒山湯殿山は男性が修行する場でしたから男性の信仰も集めていたと思われます。大阪四天王寺壹萬體菩薩像は溶岩石の山の上に亀の獣座が乗り、更に蓮華座が乗って地蔵菩薩像がある凝った造りで、大仏のように高いですが、本堂から見ると丁度よい高さです。
正門入ってすぐには都部(いちぶ)稲荷大明神があり、お寺なので宇迦之御魂神と習合した荼吉尼天が祀られています。湖北台の町名は大規模な団地ができた際の新しい町名で、昔は手賀沼と利根川の間に都部(いちぶ)村がありました。今は線路の北側に我孫子市都部、寺の南側田圃に我孫子市都部新田の名が残り真ん中が湖北台になったので分断された格好。
山門は上が鐘楼になっている造り。天保年間に仁孝天皇が奉納した大梵鐘がありましたが第二次大戦金属供出でなくなり、昭和四十八年に新造したとのことです。
本殿
本殿
本殿
山門と鐘楼が一体となった建造物
鐘楼の下が山門になっています
山門を見上げると梵鐘が見えます。
大阪四天王寺 壹萬體菩薩(一万体菩薩)と書かれた仏像。溶岩石の山頂に安置されています。
北側の正門。車は入れません。
大師堂
新四国七十三番、讃洲 出釈迦寺為と彫られた石碑
大師堂扁額など
不動堂
不動明王のお姿が彫られた石碑
不動尊が彫られた石碑。石が赤く迫力あります
出羽三山信仰の石碑群
仏像板碑。新四国七十三と彫られ、地蔵菩薩のお姿がすてき。
血盆経信仰の仏像板碑も地蔵菩薩。
表参道には羅漢像が多数並びます
羅漢様
参道の羅漢様
竹林に座す観音様。戦後の新しい仏像と思われます。とても美しい石像です。
観音様と竹林
都部稲荷大明神
都部稲荷の扁額
都部稲荷の祠の周りに木造の囲いがありますが屋根がありません
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